ほいほいほーい。
おはようございます。
学生時代はパンクロックにハマっていたタクさんです。
高校生の頃にねー。
バンドを組んでやっていたんですけどね。
なんか僕はそれほど裕福じゃなかったんですけど、
僕の高校時代の友達たちはやたらとお金持ちが多くてですね。
まあ、時代もバブルだったということもあるんでしょうけどね。
なんと自分たちのライブハウスを持ってたんですよね。
お金持ちの友達が親からライブハウスを買い与えられていて、
子供(高校生)に経営させていたんです。
まー、やんちゃな高校生にそんなものを与えた日にゃ、
しょっちゅうそこでどんちゃん騒ぎ!ってな感じだったんですが、
ライブなんかもそこで毎月のようにやっていたんです。
いやぁ〜。当時はそんなもんだと思っていましたが、
今振り返ると、生意気ですねぇ〜。
というわけで、今日もやっていきたいと思います。
演奏のしくみと思考の仕組み
みなさん楽器を弾いたりはしますか?
僕はギターが趣味なので、サボりがちながら、たまに弾いたりしております。
まあ、演奏というのはね。
当たり前のことではありますが、演奏をしている間だけ音楽が奏でられます。
演奏をやめると、音楽は止まってしまうわけですね。
音楽というのは、モノではありませんからね。
思考というのも、これと同じ仕組みで働いています。
思考は働かせていないと止まってしまうわけです。
僕らが毎日見ている世界はすべて思考の働きをとおして見ているわけですが、
この世界は思考の働きによって表現されていて、その表現は、
楽器が奏でられているから起こっていう音楽と同様に、
思考が奏でられている間だけ起こっている表現なんですよねー。
世界観は思考の中にしか存在しない
思考というのは働きなので、この働きが止まる時、思考も止まります。
そしてね。
僕らが僕らの外にあると思っているモノ。
時間の流れだったり、場所や空間だったりもまた思考の中にしか存在しません。
だから、思考が止まっている時はこれらは存在していないんですよねー。
そもそも存在している。存在していない。ある・ないというものこそ、
思考の働きの特徴なんです。
この時間がないとか場所や空間がないといったような世界観が、普段僕らが思考を通して感じている世界観とは全く違うモノなので、
一見、とっても不思議な世界のように感じてしまうんです。
でもこれは別に不思議でもなんでも無くて、至極あたりまえなんですが、
この、時間もなく場所も空間もないといったような表現は世界観の表現ではないんです。
世界観というのは思考の中でだけ展開されている表現なんです。
自分もまた思考の一部
自分という概念もまた思考の一部です。
僕らは自分という概念に慣れ親しんでいるのでずっといたんだって思ってますけどね。
赤ん坊の頃はそんな概念は持ち合わせてなかったんです。
お母ちゃん、お父ちゃんから教わった概念なんです。
ギターは弦を弾いてなる音を組み合わせて音楽を奏でますが、
思考はいろんな概念を組み合わせてストーリーを仕立て上げます。
自分というのもこの思考パーツである概念の一部なんです。
自分が消えることへの恐れ
さて、僕らは元々すべてそのものです。
このすべてには一切の境界線はありません。
すべてはイノチそのものであり、表現そのものです。
ここに思考の自分という概念を付け加えた時、
僕らはこのすべてを自分という枠に閉じ込めてしまいます。
すると、この自分は全てではなく世界の一部だという解釈になってしまうんです。
こうなると、自分は一部であるのと同時に、この自分が消えると全てが消えてしまう!という恐れを抱いてしまいます。
一部なのに全部が消えるって若干矛盾しているようにも思いますが、
そういった錯覚による恐れを抱くんですよねー。
だから、なんとか自分を守ろうとするんです。
自分を特別なものにしたくなったり、自分をよりよくしたくなるのは、
自分が何かにそこなわれないようにするためなんです。
ですが、自分というのはしょせん思考ですのでね。
この思考がなくなると消えるんです。
考えなきゃなくなってしまうんですよね。
けっこう僕らは思考って消えているんですが、
消えていることに気づくと、いかんいかん!となってなんとか思考を保とうとするんです。
なぜなら、自分が消えてしまうことに対して恐れているからなんです。
だから常に自分の居場所や立ち位置を確認したがりますし、
常に自分を演出し続けようとするんです。
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