Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ジャッジからの目覚め

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はいよー!
おはようございます!
ニンニク大好きタクさんです。

流石にね。
ニンニク食べすぎちゃうと周りに迷惑をかけちゃいますのでね。
会社勤めだとなかなか厳しいので、週末にがっつりっ!
って感じだったんですが、週末にセッションをやったりもしてたので、
週末もなかなかニンニクは厳しい。
って感じだったんですが、
最近は自宅にこもりっきり生活なので、割と遠慮なくニンニク食べてます。

みなさんのニンニクローテーションはどんな感じでしょうか?

まあ僕は、自宅こもりっきりは結構平気なんですよね。
自営業デザイナーを長年やってた時も、ほぼ家にこもりっきりでしたからねー。
ただ、今は近所のスタバも営業休止なので、
気分転換にスタバっ!ができないのは、若干しんどいですねー。

さてさて、
今日は、ジャッジということをテーマに書いてみたいと思います。

 

 

ジャッジのクセ

ジャッジとは判断ということですね。
そして、このジャッジがあるから僕らは目覚めないんだ!
みたいなね。そんな文脈をよく見受けられます。
だから、ジャッジをしないようにしましょう!みたいな文脈ですね。
でもね。
このジャッジ。いわゆる判断については、別に良いも悪いもありません。
白い色を見て、白だ!って思うのは、とても自然なことですもんね。
白とか黒と判断することには、なんら問題はないんです。
これをしないようにするというのは、ちょっと無理ゲーですよね。
だってぼくらの機能には、何かを見たら、それを判断することがセットで働いちゃいますからねー。

ジャッジしないをしなくても良いヨ。

まあ、そんなわけでね。
ジャッジをしないようにしよう!って頑張ってみても、これって多少はできるかもしれませんが、やっぱりそのうちあれこれと、判断は起こってくるんです。
で、

「しまったー!またジャッジをしてしまった〜!」
ってなるんですよねー。
まあこれもまた、ジャッジなわけでして、ジャッジする自分をさばいているんですけどね。
なので、ジャッジをしないをしようとすればするほど、ジャッジにハマっちゃうんです。
ジャッジ自体にはなんら問題はありません。別にそれが起こっても良いんです。
それは自然な働きなんです。

ジャッジの条件

ジャッジ自体にはなんら問題はないんですが、僕らは何かを判断する時、
それは白とか黒とかを選ぶ際に、例えばですが、白は良くて黒は悪い。
みたいなね。妙な条件を付け加えるんですよね。
白と黒には、元々、良いも悪いもないんですけど、ここに架空の設定を加えるんです。
でね。自分の下した判断が悪いという条件に当てはまってしまった場合にね。
この悪い!というイメージと同時に、否定的なエネルギーを感覚として感じるんです。

否定的なエネルギーってなんやねん?
っていいますと、簡単にいえば緊張感です。

僕らは頭の中のイメージで悪い物を想像しながら、同時に感覚として緊張感を感じてしまうので、この相乗効果で、とてもリアリティのある悪いことを演出してしまうんですよねー。

そして、その演出されたストーリーを真実だと錯覚してしまっているんです。

カラクリを見抜くということ

だからね。
ジャッジをするから目覚めないということではなくて、
そのジャッジに良い悪いの設定を付け加え、この悪いに感覚が反応して、
そこで生まれたイメージを真実に置き換えちゃってることで、
イメージをイメージとして見れなくなっている。

つまり、ストーリーを真実化してしまっているわけです。

このカラクリについての見抜き。これが目覚めなんです。
見抜きは読んで字の如く、よくよく見てやる。観てやる。
正確にみることによって、見抜かれるんです。

目覚め

ジャッジは自然に起こってるけど、単にジャッジが起こってるだけじゃん!

それで良いじゃん!
っていう感覚が、見抜きです。

これは、
ジャッジにくっついている良い悪いの条件ってなんの力もないジャーン
っていうことの気づきなんです。
なんの力もないから、別に起こってて良いんです。

あ、なーんだ。許されてるんだ。という気づきが目覚めをうながしてくれるんです。

※セッションではこの辺のお話をあなたに合わせて丁寧にご説明いたします。
その他、悩みや疑問にもお答えします。どうぞご検討くださいまし!

takuteto.hatenablog.com

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