Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【喧騒からの目覚め】苦しみは雄弁である

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はーい。
おはようございます。
タクさんです。

皆さんご機嫌いかがでしょうか??

僕ら人間の宿命?といいますか、習性といってもいいのかもしれませんが、
一人では生きていけない。というものがあります。

人は群れで行動する生き物の最たるものですからねー。
この群れの大きさは、時代を経るにしたがってどんどん大きくなり、
今はもう世界は一つにつながっておるわけです。

昔から国々が喧嘩をしたのも、一つになろうとしているから。
そして、テクノロジーの発展もまた、一つになろうとしているからなんじゃないかなーって思います。

移動技術の発展や通信の発展なんかをみていてもそうですもんねー。

さてさて、なので僕らはだいたい複数の組織に属しながら生きているわけです。

それは、友達付き合いだったり、会社組織だったり、趣味の集まりだったり、家族だったり。
そんなあらゆる組織のなかで、その時々に合わせた役割を演じているというわけですねー。

ま、そんなわけで悩みの大半もまた人付き合いによるものだったりするのも、
これまた必然なのかもしれませんね。

 

 

イニシアチブをとるコツ

さて、会社や組織なんかで、イニシアチブをとるコツって何かご存知ですか?
能力のあるものが必ずしも上に立つというわけではありません。
もちろん、能力はあるに越したことはないんですが、実は主導権を握るための結構簡単なコツってあるんです。
きっともっとも簡単に人から一目置かれる方法のひとつなんですが、
それはね。

「大きな声で話す!」
ということなんです。

単純なんですけどね。
あなたの周りにもいるかもしれませんね。
声が大きいだけの偉い人や上司。みたいな人がねー。

まあ、大きい声で当たり前のことを言うというところがミソです。
会議や打ち合わせなんかでも、とにかく大きい声で当たり前のことを言っていると、
意外とイニシアチブがとりやすくなったりするんですよねー。

あとは早口って言うのもあるんですけどね。
Youtubeなんかをみてると、早口と大きな声が主流になったりしてますよね。
あれは注目させるための、一つのテクニックなんです。

僕らはでかい声に弱い

まあ僕らは、でかい声には弱いんです。
僕らってね。例えば、コップを見てしまうと、
「あ!これはコップだ!」と認識してしまいますよね。
見るともう認識からは逃れられないんですよ。
だからね。
部屋が散らかってると思考が散らかったりするわけです。
なぜなら、物を見るとついつい認識しちゃうからなんですよねー。
思考を落ち着かせるために断捨離をするというのもある意味、理にかなってるんですよね。

それと同様にね。
でかい声にも弱いんです。
でかい声はどうしても聞いてしまうので、見るのと同様に、
ついつい認識しちゃうんですよねー。

でね。認識っておもしろいんですが、僕らは何かを認識すると、
その認識に正当性を与えてしまうんです。

あ、コップだ!と反射的に認識しちゃうと、これはコップであるという正当性を持つってことなんですけどね。

例えば、ロープを見て反射的に蛇だと認識すると、この認識にしたがって、逃げようとする。
お化けを見た!と思うと、ひゃーっ!ってビビってしまう。
これも、認識は正当な物だとされるからなんです。

だからね。
無視しようのないでかい声が入ってくると、まずは「なるほど!」って聞いてしまうんですよね。
しかも当たり前のことを言われると、そこに正当性も付与されてしまうので、
なるほど!その通りだ!ってね。
ついつい認識しちゃうんです。

なので、どうしても大きな声で当たり前のことを言われると
「なるほど!」「この人は正しい!」ってな錯覚におちいっちゃって、
ついつい釣られちゃうんですよね。

苦しみは雄弁である

さてさて、大きな声以上に雄弁なのが苦しみです。
こいつも大きな声で頭の中にダイレクトに主張してくるもんですから
ついつい僕らは、
この苦しみには正当性があるという錯覚をしちゃうんですよね。

でも、雄弁なのと正しさは別です。
これは錯覚なんです。

ほら。
幸い最近のコロナ騒ぎで、声が大きいだけのおじさんたちは、
テレワークになって退場させられてしまったりもしてるじゃないですか。
本当に仕事ができる人なら良いけど、声の大きさだけではもうごまかせなくなってきましたよね。

こんな声だけが大きいおじさんと、雄弁な苦しみは同じなんです。
ぼくらは錯覚で苦しみの雄弁さについつい巻き込まれているだけなんです。
ここに正当性はないんです。

だからもう、雄弁なだけの苦しみは、退場してもらったら良いんです。

一旦しずかになって落ち着いてみる。

苦しみの雄弁さの錯覚から目を覚ます方法は、
苦しみのストーリーの中であれこれと手立てを考えると言うことではなく、
いちど静かに沈黙し、その沈黙の中に落ち着いてみるというのがオススメです。
一切の思考の言葉に耳をかさず、ただ沈黙の中に在ってみるんです。

するとね。
面白いことに、向こうからやってきていると思っていたあらゆる言葉は、
必死に自分でかき回していたことを知るんです。
そして、自分でかき回していた喧騒に、自分が悩まされていたことも知るんですよね。

まさに独り相撲をやっていたんです。
そんな自分の健気さと愛おしさに目覚めた時、
僕らは雄弁な思考のストーリーからも目覚めてくるんですよねー。


※沈黙について、語ってみませんか?
非二元の疑問や質問になんでもお答えいたします。

takuteto.hatenablog.com

 

  

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