Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【私はいない】ワタシが生じるカラクリのおはなし

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はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

私を構成するもの。
これを考えだすと、まあいくらでも思い浮かぶと思うんですよ。

それは、身体はもちろんのこと、
国籍もそうだし、年齢もそうだし、性別に見た目もそうですよね。
社会的地位や役割もそうですし、在籍している会社。
そして、家族の中での自分の立ち位置なんかもまた、私を構成する一部ですよね。

また、心や信条。
信じている宗教がある人はそれもまた私の一部になっているのかもしれません。

そうやって、無数の私が組み合わさったもの。
これが「私」なんだ。
って感じているわけですねー。

そしてこうやってワタシを構成しているものの中でも、そのパーツによって距離感の違いがあるんです。

 

 

私を構成するパーツ

例えばですが、国籍なんて誰かが勝手に考えた概念なんだ。
ワタシとは関係のないものだ!
みたいなね。
国籍はワタシではないということは、わかりやすいと思うんです。
それは、国籍のパーツは、距離感が遠いからなんです。

性別はワタシではない。
というのも、人によってはわかりやすいかもしれません。性自認と、身体は別の話だ!
ってことも、最近は受け入れられやすくなってますからねぇ。

そもそも性別なんてものは存在しないんですよね。
何にもない中で、性別とはこういうものである!
と言ったようなイメージ上の条件を採用したときだけ生じる概念ですからね。
男だからこうあらねばならない!
女の子だからこうあらねばならない!
みたいなことは、元々存在してません。

でも、身体や心がワタシではないということは、ちょっと受け入れにくいかもしれません。
それは身体や心というのが、ものすごく近くにあるからです。

イメージの積み上げ

性別や国籍、社会的な地位。そして心や身体。
これらはすべて思考による産物です。
それらの思考による産物は、ぼくらがどこかに時点で教わった概念なんです。

僕らは様々な概念やレッテルを持っています。
コップを見たらすぐにコップだと認識できるのも、コップというレッテルを持っているからです。
ただ、実際には概念やレッテルというモノがあるわけではありません。
これらは、こういうことにしておこうね。という概念上のルールのようなモノです。
つまりはイメージなんですね。

あくまでもイメージなので、そこに距離があるわけではないんですが、
僕らはイメージにイメージを積み上げて認識をします。

その一番土台に近いところにあるイメージを近いと感じているんです。

この近いイメージが心や身体だというわけです。

私が生じるカラクリ

僕らは様々なイメージを積み上げ、そこに言葉を付与してストーリーを作り上げます。
そして、「ワタシ」という観念をストーリーの中心に据えるんです。
この中心がないと物語は展開しませんからね。

そして、この中心に据えるモノ。それはストーリーを構成するために選び出されたあらゆる思考パーツの中から、一番近いモノを選ぶんです。

そして一番近いものを「ワタシ」とするんですねー。

僕らは常に、何かを認識しようとします。
そしてこの認識はストーリーに仕立て上げられることによって成り立っているんです。

これが、そもそもは存在しない「ワタシ」とこの「ワタシ」をとりまく物語が展開するカラクリなんですよねん♪

 

おはなしをすることできっともっと深く納得できるかもしれません。
というわけで、タクさんセッションキャンペーン中です。
よろしくお願いします。

 

takuteto.hatenablog.com

 

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