Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【悟り・目覚め】僕らが還るところ

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へい。
おはようございます。
タクさんです。

たしか、島田紳介さんが言っていたんだと思うんですけど、
笑いの才能というのは、歌と一緒で、生まれ持ってのセンスと言うものがある。
そしてこのセンスというのは、声の強弱とか声の質とかもあるけど、
大事なのは話の間の取り方なんだ。
みたいなね。
そんなお話をしてはったのをふと思い出したんですけどねー。

これ、どんなことにも言えるのかも知れませんね。
例えば、デザインでも余白というものを思いっきり教わりました。
絵画でもそうですよね。
書道でも、余白がとても大事だし、
音楽も、テンポ。つまり間の取り方によってリズムが生まれるわけです。

僕らは、ついつい、話の内容や絵の部分や音の部分だけに注目しがちですが、
実はこれらのすべては、余白(間)があってこそ成り立っているんですねー。

さてさて、
今日はこの「間」について書いてみたいと思います。

 

間が悪い。間が良い。

間が悪いなぁ。とか、間が良い。
なんて言葉がありますよねぇ。
この間とはなんなのか?といいますと、
きっとそれは沈黙なんだと思うんです。
この間というものがあるからこそ、あらゆるものがそこで表現されてるんです。


沈黙があるから言葉はそこで踊ることができる。

考え、思考、感情や感覚。
これらもすべて、沈黙があってこそ訪れていて、
この沈黙の中で起こっているんです。
そして、真実のヒント。それはこの沈黙の中にこそあるんです。
映画はスクリーンがあるからこそ映し出され、
絵画はキャンパスがあるからこそ描かれます。
あらゆることもまた、沈黙があるからこそそこで表現されていて、
この沈黙とあらゆること。これはすでに一体なんです。

沈黙はずっとここにある。

言葉があっても、言葉がなくても沈黙はずっとここにあります。
思考や感情が吹き荒れているように見えても、沈黙はずっとここにあるんです。
沈黙とは静寂です。
僕らは音楽を聴く時、同時に静寂も聞いています。
ですが、意識が音楽だけにフォーカスされていて、
聞いている沈黙を忘れてしまっているんですねー。
そして、問題となること。
それは、表現されているあらゆること。
思考、感情、感覚。
そして言葉。
これらが否定的なエネルギーを帯びる時、
問題という形となってあらわれます。

僕らはこの問題となった表現に対し抵抗をすることで、
分離をするんです。

それは、今、目の前にあるあるがままへの抵抗なんです。
この抵抗感が問題としてあらわれているわけです。

沈黙の中には否定はない

問題や抵抗。これは否定によってあらわれていますが、
今もここに常にある沈黙。静寂。
この沈黙や静寂の中には、問題もなければ否定もありません。
沈黙や静寂は姿を変えることもなく、ずっとここにあります。
これこそ、全ての本質です。
問題や否定は、沈黙の中に起こっては消えていく思い込みの中。
この思い込みの中にだけ存在しているんです。

僕らが還るところ

すべてはこの沈黙、静寂の中で起こっています。
あらゆる喧騒も静寂の中で起こっているんですねー。
喧騒は常に変化をしていますが、この喧騒の変化も
ずっと変わらずにここにある静寂の中で起こっては消えていっているんです。

 

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