Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【ノンデュアリティー】今この瞬間にある事実

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はーい。
どうもおはようございます。
最近はずっと家に篭りっきりで、
若干、身体の方もなまり気味のタクさんです。

みなさん。いかがお過ごしでしょうか?
まーちょっとフラストレーションも溜まり気味かもしれませんが、
そんな時こそ、ちょっとだけ、今この瞬間にリラックスしてみる。
というのもいいかもしれません。

というわけで、今日は「今この瞬間を実感すること」ということをテーマに
書いてみたいと思います。

 

今ここにある真実

ただこの瞬間にあるということ。
これってね。別に難しいことじゃないんです。
っていうか、みんなすでにそうしているんですねー。

ただね。
それだとあまりにも無色透明なもんですから、
それに色々と足すんです。

何を足すのかと言いますと、イメージ上の観念を足していくんです。

そして、足されたイメージだけで、この瞬間に説明が加えられるんですよね。

イメージでできた説明にもまた、イメージの説明が足され、
さらにまた足され、ってね。
そんなことが繰り返されてストーリーが出来上がるんです。

そして、そのストーリーを夢中でみているので、
今この瞬間は、そのストーリーを見ている間だけ忘れ去られるんですよねー。

なんていうか、見向きもされない脇役として相手にされなくなっちゃうんです。
でも、相手にしていなくても、やっぱり常にどんな時もこの瞬間は常に僕らと共にあるんですよね。

この瞬間こそが真実なんです。
真実というと、なんか仰々しく感じるかもしれませんが、そんな大げさなものではありません。
単なる事実。
なんの文句もつけようのない事実。
それが「今のこの瞬間」なんです。

瞬間は掴めない

この瞬間とはまさに「いまここ」の全てです。
僕らはこの瞬間をつかもうとするから、この「いまここ」がとても掴み取りにくい。
というか掴めない難しいものだと思ったりしちゃいます。
そもそも、僕らは真実を掴み取ることはできません。
なぜなら、掴み取られたものはすべてストーリーだからなんです。

というか、掴み取るという行為。
つまり何かを理解するというのは、何かをストーリー仕立てに加工するということを意味しているんですよね。

僕らはストーリーに仕立てることによって、それを理解と呼んでいるんです。

つまり、理解とはストーリーとして仕立て上げることなんですよねー。

ストーリーとは、なんでもないこの瞬間の真実を切り取り、概念化するものです。
概念として加工された真実は、もう真実ではなくなっちゃうんですね。

真実はお気楽

なんでもないものが在るんです。
なんて言葉をね。
みなさんもノンデュアリティーや非二元の勉強をしているときに何度となく聞いたことがあると思います。

でも、そういうことを聞いて、この「なんでも無い」というのは、
実はとても素敵な何かなんだと思ってたりしませんか?

このなんでもないこそ愛であり、全てであり、お気楽である。
みたいなね。

だから、お気楽になりたいから、この「なんでも無い」をなんとか実感したい!
ってねー。
思ったりするんだと思います。

確かにこの「なんでも無い」を実感することで、とってもお気楽になれちゃいます。

でもそれは、「なんでも無い」にあらゆる苦や不安を洗い流すパワーがある。
ということでもないんです。

すでにここにある

僕らはみんなこの「なんでも無い」を常に感じ取っているんですが、
それだけだとあまりにも味気ないから、何かを付け加えているだけなんですよね。

そして、何かを付け加え続けた結果、常に何かを付け加えなきゃならないという勘違いをしているだけなんです。

だから、特別な何かを付け加えようと、より良い何かを探し求めているだけなんです。

「なんでも無いこと」は、本当に、マジでなんでも無いんです。
つまり、ただ、椅子に座る感覚がある。
ただ、空気の流れが感じる。
ただクルマの音が聞こえる。
なーんでも無い、なんの意味もないことだけがつねにたんたんとおこってるだけ。
これが「なんでも無い」の正体で、コレが真実なんです。

もっと詳しくいうと、
椅子ですらなく、
空気ですらなく、
車ですらなく、
感覚ですらなく、
音ですら無いんですけどね。

さすがにそれだけだと、自我ちゃん的にはとてつもなく退屈だから、
それらの材料を組み合わせて、ドラマチックな色付け、演出が成されているだけなんです。
そして、その色付けの中にだけ色々な問題が生じているんですねー。

真実に在るということ

なんでもない瞬間。
これは、そういうゴールがあるわけではなく、どんな時にも常にここにある、
この瞬間に戻ってくるだけなんです。
それがなぜ難しく感じるのかというと、それが一見とても退屈でどうってことのないものに見えるからなんです。
ノンデュアリティーの真実。これがとても素敵なものであると思っているから、
(※実際に素敵なものではあるんですが)
どうしてもこの退屈な「今」がその素敵なものであるはずがないという思い込みによって、スルーされているんです。

この瞬間には深刻さは存在しない

今この瞬間。これこそが事実です。
呼吸と名付けられる以前の、なんでもない働きが単に起きている。
これが事実です。
ナッツを食べたときに感じる香ばしさ。
このなんでもない感覚。
これが事実なんです。
そして、この事実にあり続けることで見えてくるもの。
それがノンデュアリティーの真実なんです。
このシンプルな事実。ここには深刻さはありません。
深刻になろうとしたらコレに色付けをして、色付けされた世界を事実だと受け止めなきゃいけませんからねー。
今この瞬間には、深刻さはないんです。
お気楽さしかありません。

 

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