Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【未知の受け入れ方】一瞬先は闇?光??

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はーい。
おはようございます。
タクさんです。

みなさん!
今日も、ナウいですか?ナウナウでしょうか?

今も昔も僕らは流行というのがとても好きだったようで、
平安時代の紫式部や清少納言の物語の中にも、
「今様歌」という言葉が出てきます。

この今様とは、現代風、つまり今っぽい!という意味なんですが、
まー平安時代にも、こっちの方がナウいんだぜ!
みたいな言い回しが良く流行っていたようですねー。

現代もまた一緒で、
服装や音楽もそうですが、
ビジネスなんかでも、その手法は10年遅れてる!だとか、
この先の未来はどうなる!
とかね。
やたらと、新しさマウントが流行ったりしています。

占いなんかは、今も昔も大人気コンテンツですしね〜。
僕も、占いは見ちゃいます。

今年の僕は金運が最高なはずなんですが、実際はボロボロで、
おっかしいなぁ〜と思っております。

さて、今日は僕らが気になる先のこと。
というのをテーマに書いて見たいと思いますが、
未来予想の話ではありません。

目次です。

 

 

人類の関心ごとは先のこと

人生には、3つの坂があると言われています。
それは、上り坂と下り坂。
そして、マサカです!

ゆーてね。
そんな定番のスピーチ用ダジャレもあったりします。

また、一瞬先は闇。なんて言葉もあります通り、
僕ら共通の最大の関心ごと。
それは、将来の事。先のこと。なんですよね。
なぜそれほど大きな関心ごとになっているのかというと、
やっぱり僕らの一番の不安がそれだからなんですね。

つまり、先がどうなるのか?
ということです。

遅かれ早かれ

そんなわけで、先がどうなるのか?
ってことばっかり考えちゃうのが僕ら人間なんですけどねー。
でも、この先にどうなるのか?
全ての人に共通するのはもう
「みんな死にまっせ。」
って話なんですけどね。
(ホントは死も概念の一つなんですが、、、。)
死はもう遅かれ早かれですのでねぇ。

そのことは知っているはずなんですが、
そこはどうもスルーされちゃうみたいなんです。

遅かれ早かれ死ぬんかいな!ってなると、
先のことってそれほど心配するには及ばないんですけどね。

一瞬先は闇か光か?

さてさて、
そんな僕らのとても気になる一瞬先。
それは、光なのか闇なのか?
ってことなんですけどね。

この一瞬先というものは、無いんですよね。

は?
って思われるかもしれませんが、
僕らは一瞬先を経験することは一生無いんですよ。

なぜなら、常に今ですのでね。

なので問われるのは、今に対する向き合い方なんですよね。

すべては未知である。

一瞬先は永遠に訪れません。
大事なのは今に対する向き合い方です。
この今の向き合い方において、恐怖が優先される時、
僕らはその恐怖をなだめなきゃならなくなります。

なので、先を知りたくなるんです。
先を知ることによって恐怖をなだめようとするわけですね。

もちろん、前向きな意味で、先を予測することもあるでしょう。
それはちゃんと今と向き合えているのでいいんです。
でも、漠然な不安とともに先のわからなさを嘆いている場合は、
今がおざなりになってしまっているんですよね。
全ては未知である。
これが真実なんです。
この未知を受け入れることで、今に戻ってこれるんです。

未知を受け入れるとは、わからんを許すということなんです。

 

takuteto.hatenablog.com

 

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