Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自分を愛でるには、まず自分を突き放すということ

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ふぇ〜い。
おはようございます。
タクさんです。

自分を愛でるというのはねー。
一見、自我ちゃんの言うことを叶えてあげる。
みたいなね。
そんな感じの方向性に捉えられることもあるのかもしれませんが、
そう言うことでもないんですよね。
ここのニュアンスって結構むずかしくて、
寄り添ってあげるのは、その通りなんですが、
同化する事とはちょっと違うんです。

寄り添うためには、一回突き放さないといかんのですよねー。

寄り添うのに突き放すの??

矛盾してるじゃん!

ってね
思われるかもしれませんね。

というわけで、今日はその辺のことについて書いてみたいと思います。

 

 

自我ちゃんの言うことを突き放す。

「ワタシ、こんな風なんですけどそれで良いんですよね。」
「すぐに逃げてしまうんですけどホントに大丈夫なんでしょうか?」
といったかんじのねご相談を受けることがあるんですが、まあもちろんそれはそれで良いんですけど、きっとこういう質問が出てくるということは、これじゃいかん!
と思ってるということなんだと思うんですよね〜。
つまり問題となっているから気になっているんです。
この問題というのは、
「このままで大丈夫なんだろうか?」
といったような不安なんですけどね。
この不安を払拭してあげること。
これが自分を愛でるということではないんです。

まずはその問題については、突き放してあげるんです。
「知らんがな!」
って感じでね。
自我ちゃんは、突き放されると途端に非難をしてくるかもしれませんが、
まずは突き放してあげないと、始まらないんです。

自分の愛でかた

自我ちゃんは突き離してあげることで初めて観てあげる事ができます。
同化していると、不安をどう払拭するのか?
その方法の方ばっかりに注目してしまうんです。
そして、その方法をいち早く見つけなければならない!という思い一辺倒になってしまうんですよね。
そこはまず、「知らんがな!」と突き放してあげて、
そして改めて、今起こっている、

・不安な心
・落ち着かない心

を観てあげるんです。

どのように観てあげるのかというと、
問題が在ると思っているときは、必ず身体の何処かに反応があるはずなんです。
この反応が起こっている場所にそっと手を当ててあげるんです。
そして、問題を丸ごと手のひらの上に出てきてもらうようにイメージするんです。

上手く手のひらの上に出すことができたなら、
この子の姿をじっとみつめてあげるんです。

観察してから許してあげる

そうやって観察してあげるんですが、ここでも大切なのは、
不安を払拭しようとしないことです。
こういう問題があるから、解決しなければならない!
という思いが起こると、途端に手のひらから身体の中に戻ってしまいます。
戻ってしまうとまた、最初からやり直しになります。

自分のものじゃなく、初めて見るものを見る感じで観察してあげるんです。
そして、一通り観察ができたなら、
今度は、この子の辛くともなんとかしようとしている健気さを祝福してあげるんです。

ここでも、言い分を叶えてあげるのではなく
叶えられない願いに立ち尽くすこの健気さを祝福してあげるんです。
あらゆる思い通りにいかない思い、
この想いを握りしめ泣きそうになってる健気さを称えるんです。
そしてそのあとは、ただ何もせずに見守ってあげるんです。

自分を愛でるというのは問題の存在を認めてあげること

何もせず、そのままイメージが消え去っていくまで見守ってあげることで、
このワークは終了です。
その時、最初に感じていた体の感覚が軽くなっていたなら成功です。
このワークは問題を消し去ることが目的なのではありません。
問題によって、自分で自分を鞭打っていることをやめてあげましょうね。
ということなんです。

それにはまず、問題は、問題として存在していいということ。
これを認めてあげるんです。

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