Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

今に全乗っかり。それは悪ノリかも

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はい。
おはようございます。
タクさんです。

今に全乗っかりする。
ってねぇ。
そうはいってもそれができませーんっ!
っていう方もおられるかもしれません。

いやいや、
ほんとは出来る出来ないの話じゃないんですけどね。
でもやっぱり出来ないっ!
って思う方もおられるでしょう。

というわけで、今日はこの
今に全乗っかりについて書いてみたいと思います。

ほいっ!
今日の目次です。

 

 

全ては悪ノリ

今こそが全てです。
そしてこの「今」ってね。
一見、悪ノリに似ているんですよね。
悪ノリじゃダメでしょう。
ってね。
感じる方もおられるかもしれません。
ちゃんとしなきゃ!
ってね。
でも、「今・すべて」は価値観に一切依存していませんからね。
これは良い。
これは悪いってなものがないんですよね。
その良いも悪いもないという様子がね。
価値観を通した自分からは、どうしても悪ノリに見えてしまうんですよね。

公園の木々

このことは、結構なんども書いているんですけど、
僕は公園の木々をみるたびに、素晴らしい悪乗りだなぁって感じるんですよね。
木々は様々な表現方法で天に枝を伸ばしているじゃないですか。
この伸ばし方に、正しいも間違いもありません。
思いっきりねじれながら枝を伸ばしている木もいますし、
枝が重みで地面についてしまって、地面の下をくぐり抜けてからまた枝を伸ばしていたり、
二つの木が絡まってしまいながらも天に枝を伸ばしていたりね。
この様子がもう、なんていうか、
なんでもありの悪ノリ!って感じがして、僕はとっても好きなんですよね。
意味を追求せず、今に全乗っかりで悪ノリしてる!って感じるんです。

今に全乗っかりする上でじゃまになってくるもの

ま、今に全乗っかりが出来てないなぁと思う理由というのが、
常識だったり、人の目だったり、比較だったり、
恥ずかしさだったり、生真面目さだったりするわけです。
これらすべてが観念なわけですので、
これらを乗り越えましょうっ!
みたいなメッセージもあったりするわけです。
また、観念が起こらないよう必死に見張りながら、何もしないをするっ!
みたいなね。
そんな修行もあったりするわけですが、
別に何もしないようになったら良いというわけではありません。
ここで、あらゆる観念のなかで、どれが一番面白いのか?
こんな風に遊んでみること。この遊び心こそが頑張りどころでもあるんですよね。

実はすでにもう全乗っかりしているんだという事実

さて、実は今に全乗っかりというのは、出来るとか出来ないという話ではありません。
そもそも選択の余地なんてないんです。
つまりどういうことかというと、
もう何をしてようが、どんな観念を持っていようが、どんな思考を追っかけてようが、
もうすでに今に全乗っかりしているんですよね。
ただ、そうだと信じられないだけなんです。
ま、そもそも信じる話でもないんですけどね。
なので、何もわかる必要も無ければ、何者かになる必要もなく、
何かをわかっても良いし何者にもなって良いということなんですが、
観てみるっていうのも、一旦確かめてみるといった感じなんです。
すでにもう完璧だとして、そう思えない理由になっている部分。
これらがすべて観念なんですよね。

事実に着目するということ

まあ、とはいってもこれらを一つずつ観念をつぶさに観ていくとか、
そんな必要もありません。
どうしてもつぶさに観たいものだけ観てあげて、
あとは、そのまーんま、わからないままで在ってみたらいいんです。

ポンと手を叩いて今にあってみるんです。
これは自転車の手放し運転の練習と一緒です。
ちょっとした不安感は感じるかもしれませんが、
ポンと叩いて今にあってみるんです。
するとちゃんと起こるべきことがちゃんと起こっては消えていってくれるんです。
そこに、なーんにも手を加える必要はありませんし、そもそも加えていないんです。

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