Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ワクワク、オモロイの気づき方01

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はーい。
おはようございます。
タクさんです。

僕らができること。
それは「今」できることに限られます。
となると、今目の前に転がってるできること。もしくはやりたいこと。
ここでたんたんと遊べば良い。
それ以上でもそれ以下でもないんですよね。

その上で、今、表現されてくる自分のオモロイに乗っかれば良い!というわけなんです。

ただ、そうはいっても、その自分のオモロイがよくわからない。
となる場合も多いと思うんですよねー。
というわけで、今日はその辺について書いてみたいと思います。
今日の目次です。ジャジャンッ♪

 

 

オモロイは何もしなくても湧き上がってくるもの

オモロイってね。自分がひねり出しているわけじゃないんです。
たとえばね。
カレーが食べたいなぁ。と思ったとするじゃないですか。
これって、誰がひねり出したわけでもないですよね。

なんとなく勝手にやってくるものです。
僕らができることはこのカレーが食べたいなぁという思いをいかに素敵にデコレーションするのか?
よっしゃ!ちょっと遠出して、カレーを食べよう!でもいいし、
思いっきり凝ったカレーに挑戦してみる。
でもいいですし、
そこはもう、湧いてきた「カレーが食べたい」にどのくらい乗っかるか?
にかかっているわけですが、
元々の「カレーが食べたい」は自分がひねり出したものじゃないんです。
僕らができることはこの湧き上がってくるものに全乗っかりするのか?
それとも押し隠すのか?
無いふりをするのか?
これだけなんです。
そして、押し隠したり無いふりをしちゃう場合に僕らは「つまらなさ」だったり「つらさ」を感じたりするわけです。
まあ、カレーくらいなら、今日は無理でもまた今度で良いかもしれませんけどね。
そうじゃない場合は、正に自分で自分を否定するなんてことにもなっちゃうわけです。

オモロイは素晴らしいことじゃないかもしれない

ちなみに、自分から湧いてくること。

これね。心情的にはとっても素晴らしいものだと思いがちなんですがね。
実はこれって素晴らしいことじゃないかもしれないんです。
もしかしたら、自分にとってそれはとっても意味がないと思っていることかもしれませんし、恥ずかしいと思っていることかもしれません。
特に、今まで隠していたり無いフリをしていた場合は、何かしらの価値観でそれを押し殺している場合があります。

つまり価値観としてこれはあっては困るということなんです。
自分がこれがオモロイなんてそんなことは許せんっ!と思ってることなんですねー。
あなたは実は、アニメ好きかもしれませんし、男だけどお化粧が好き!みたいなことかもしれないんです。
子供の頃なら夢中でできたけど、やめてしまったことかもしれませんし、
これはお金にならないと、お金というものさしで押し殺していることかもしれないんです。

子供の頃なら良かったのに今はだめ。
男だからダメ。女だからダメ。
お金にならないからダメ。
みたいなものってね。
結局ぜ~んぶ価値観なんですよね。

でもこの価値観によって、自分を縛るのはもったいないんです。
価値観っていうのは、本来、自分を楽しく彩るものであって、自分を縛るものでは無いんですよね。

価値観はオモロイを押し殺す

せっかく湧き上がるオモロイが、価値観に殺されちゃってるんですよね。
「こんなことはしちゃダメ。」というそんな価値観がオモロイを押し殺すわけです。
そして、そのことに無意識なので、知らないうちにオモロイなんて湧いてこないぞ!
ってね。
選択肢が潰されてるかもしれないんです。

もう大人だからこれをやるのは恥ずかしい。
こんな地位だからこれはできない。
この歳だからもうだめ。

こんな思いがあるのなら、
もしかしたら、自分の好きを封じ込めているのかもしれません。

大丈夫です!
おっさんだって、あいみょんを爆音で聞いてジーンッとしても良いんです!

こっそりと、
「沈まれ!俺の右腕よ・・・」
とつぶやいても良いんです。

はい。というわけでしてね。
今日はここまで、
明日に続きたいと思います。

明日は、
成功がオモロイを押し殺すという盲点について。
そして価値観の奴隷から抜け出すということなどについて、
そして、ワクワクオモロイと一体化するということを解説したいと思います。

それでは、良い一日を!
明日またお会いしましょ〜♪

 

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