はい。
おはようございます。
タクさんです。
ギリシャの哲学者といえば、ソクラテスさんとプラトンさんですよね!
プラトンさんはソクラテスさんの弟子であり、お二人とも様々な言葉を残しておられます。
この二人がなぜ今でも名前が語り継がれているのか?
といいますと、やはりそれは書物で残っているからなんです。
でもソクラテスは書物は一切残していないんです。
書物を残したのはプラトンなんです。
ソクラテスは一方的な弁論や書物は役に立たない!という考えを持っておられたそうです。
なので、言葉を文字で書物を残すことに反対していたんですよね。
確かに真実は文字で残せません。
起こることは今のこのタイミングとこの場所で完璧に起こっているのであり、
再現はできませんもんねー。
なのでこの場の会話を文字で残したのだとしても、
残された文字で紡がれるストーリー全て偽物だ!
というのが、きっとソクラテスの考えだったんだと思います。
ソクラテスさんは後世に言葉を残すことも無意味であり、無くなるものは無くなればいい。という考えでしたが、でも弟子のプラトンはそうは考えず、やはり価値のある哲学は残すべきだと考えたので、たくさんの書物を残したんですよねー。
ま、僕も毎日ブログを書いているくせに、実は伝えようとしているのは、
まさにソクラテスが言いたかったことなんじゃないかな?なんて感じたりもしています。
言葉で書かれたものは全て真実ではありませんのでねー。
こういった話を信じようとしたりしても無意味なんです。
むしろ、信じているもの。これも真実ではありません。
真実とは固定されないものですのでね。
信じている信念もある種の観念なんです。
ではこういった話はどのように読めばいいのか?
と言いますと、自分は何を掴み取っているのだろう?ということを確かめる術として使ってみる。
また、文を読んでいるうちに、掴み取っていたものがファッと手放されたなら、そこに佇んでみるために読んでみる。
そして、行間の静寂にあってみる。
なんかね。
そんな感じで読んでもらえれば良いかもしれません。
まさに全ては取っておくことはできず、「今」「ここ」が全てでそれ以外はありません。
ですが、言葉と思考はどんなことでも作り上げられます。
この世界にもまた行為者はいないんですが、行為者のいない世界の中で行為者がいるという演出がなされているんです。
ストーリーとか思考は、言葉でできています。言葉でできているということこそが幻想であり分離しているということなんです。
なぜなら、言葉というものが、架空のイメージ上で分離し整理整頓する道具だからですね。
なので、あまりに頭の中にいろんな言葉が紡がれる場合は、まずは言葉をそっと置いておけばいいんです。
そして、言葉のない静寂さにリラックスするんです。
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