Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

人生の味わい

f:id:takuteto:20200215231234j:plain

どうもー!
おはようございます。
タクさんです。

みなさん。ご機嫌いかがでしょうかー。
泣き笑い、遊び楽しみ、苦しみ怒りと味わっておられますでしょうか?

僕の方は、まぁー。ボチボチ味わっております。

味わいって言葉は
いろんな意味で使われていますね。
雰囲気を表すこともあれば、
味わいのある話。といった具合に、
おもむきを表したりしてねー。
味覚を通した味だけじゃなく、
香りやおもむき、雰囲気。
あらゆることを味わいとして表現されています。

そして僕らの人生。
これもまたあらゆる味わいの集大成のようなもんですもんね。

 

さてさて。
僕らの人生の全てはまさに味わいのようなものです。
起こっていること。これもまた味わいのようなものです。

味わいというのは起こっては消えていくんです。

ほら、
みなさんも、甘いものとか食べた時、
この味わいを取っておくことって出来ないじゃないですか。

あー、この甘さをずっと持っておきたーい!
ってね。僕もよく思いますが、

どう頑張っても、その甘みは、やってきては去っていきますよねー。
だからついつい食べ過ぎちゃうわけですもんねぇ。

この甘い物を食べた時の感覚。
これをいくらストーリーとして記憶したとしても、
やっぱりストーリー上には真実はありませんよね。

さっき食べたシュークリームの実食体験!
これをいくら思い出したとしても、
いくら、シューの部分がサクッとしてて、中はとてもクリーミーなのに
甘さ控えめで取ってもしっとりしていて、、、。

ってね。
いくらその時の記憶を持ち出したとしても、
あの甘み体験は完全に再現できないですもんねぇ。
これができるのなら、また食べようとは思わないですもんね。

記憶の中に、確かにその体験談は残っていますが、
これは実食体験とは全く違うものなんです。
言葉で加工し、記録したものであって、実際の今の体験とは全く別物なんですよね。

そして、真実の体験は「今」しか起こっていないんです。
これを言葉で加工したものは、まさに幻想のストーリーそのものであり、
幻想のストーリーにはイノチはありません。
ストーリーは生きていないんです。

スイーツをいくら雑誌でみたところで、写真や文字の中に、このスイーツの味わいはありません。

僕らの「今」の味わいも、言葉に加工することはできたとしてもその言葉の中には真実はないんです。

これが、
僕らは何も所有したことがない。
全てはとっておくことはできない。
ということなんです。

幸せって取っておくことができませんよね。
それと一緒なんです。

逆にいうと、不幸も取っておくことはできません。
つまり、やってきては去っていくものです。

このように全ては起こっては消えていくんです。

この味わい。
それは増えるものでもなけりゃ減るものでもありません。
だから、損なわれることはありません。

なので、損なわれることに対する恐れというのは、
まさに錯覚でしかないんですよねー。

なので、僕らができることは、
やってくる味わいを楽しく味わうことだけなんです。

考え事をしていると、味わいは起こっていてもスルーされちゃいます。
そして、考え事で疲れちゃったのなら、
もともとある味わいを、グッと味わえばいいんです。

 

takuteto.hatenablog.com

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!