Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自分らしさの探求

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はーい。
おはようございます。
タクさんです。

イエスキリストさんってね。
ずいぶん昔の人のように感じるじゃないですか。
だって、2000年も前ですからねぇ。
そりゃー気の遠くなるくらい昔の人です。

そのイエスキリストさんと同じくらいの時代の人にね。
クレオパトラさんがいるわけなんですけどね。

クレオパトラさんの生まれが西暦69年なので、イエスさんと69年くらいの年齢差で、
被ってはいないんですが、だいたい同じくらいの時代です。

クレオパトラといえば、エジプト。
エジプトといえばピラミッドですよね。

このピラミッドができた時とクレオパトラさんの生きた時代の間ってね。
クレオパトラさんが生きた時代と今現在の間よりも、大きいって知ってました?

どういうことかというと、クレオパトラさんは今現在から見たら、だいたい1950年ほど前に生まれたことになります。
そして、ピラミッドは今から4500年ほど前に作られたと言われています。
つまりクレオパトラさんの時代からさらに約2500年前にピラミッドが建てられた。
ということです。

クレオパトラは2500年前の建造物としてピラミッドを見ていたんです。

いやー。なんか歴史の奥深さを感じちゃいますよねー。

 

さてさて、
自分らしくありたい。
なんていうのは、きっと全ての人の望みなんだと思います。

そして、
自分らしくあれない時。
僕らは苦しみ、
自分らしさを見失う時、
僕らは不安を覚えるんです。

自分はなんのために生まれ、なんのために生きるのか?
これは、人類の普遍の問いです。

今から2000年以上前に書かれた史記という書物も、
人はどのように生きれば良いのか?といったテーマを元に、
様々な歴史が書かれています。

僕らは昔も今も、どう生きるべきなのか?と自分に問うていたんですね。

また僕らはついつい自分というものに定義づけをしてしまいます。
ですが、いざその定義づけられたものが自分なのか?と確かめてみると、
全ての定義づけは自分ではないということを知ることができるんです。

つまりどういうことかというと、
普段、だいたい僕らは身体というものを自分だと定義づけますが、
体のどの部分に自分がいるのか?と探ってみると、どこにも自分はいないということに気づくというわけです。

また、自分というものは、身体だけじゃなく、信念や宗教、チームや会社や国家といったものに取り付く場合もあります。

信念が汚されると、まるで自分が損なわれたような感覚を感じたりするのは、
まさに信念を自分と定義づけているからなんです。

僕らは、身体一つだとどうしても頼りなく感じてしまうので、
ありとあらゆるものを自分に付け加えようとします。

僕らがいろんなものを得たいと感じるのは、ある種自分を強化したいという思いが働くからなんですよねー。

ですが、皮肉なことに、
僕らはあらゆるものを得れば得るほど、
そして、得ようとすれば得ようとするほど、自分らしさを失ってしまうんです。

じゃあ、自分らしさはどこにあるのか?

それは、今ここにすでにあります。
何もしなくてもこの「らしさ」は勝手にあらわれて表現してくれます。
僕らにできるのはそれを邪魔しないことだけです。

ついつい、何かを得てプラスしたいという思いが出てきちゃったりしますが、
何かを得ようとしている間は、らしさを失ってしまいますので、まずは得ようとするのとひと休みした上で、
今のまんまで良いということ。
それを許してあげれば良いんです。

それが許されていくと、

自分らしさから「自分」がぬけおち、「らしさ」だけが残ります。
それはずっと共にあった全てであり、僕らが還ってくる本来の場でもあるんです。

 

 

takuteto.hatenablog.com

 

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