Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

観念を見るための準備運動

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はーい。
おはようございます。

タクさんです。

しってました、僕ら地球人、全然、地球代表じゃないって話。

ま、僕ら人間なんて地球から見るとウィルスのようなもんで、
地球上の生物量を測って見ると人間はわずか0.01%しかいないんですよね。

人間なんかよりも菌類の方が何百倍、何千倍もいますし、菌類よりも何倍も多いのがバクテリアです。
そして、それより何十倍も多いのが植物です。
植物は植物以外のあらゆる生物を足し合わせても、叶わないくらいの数がいます。
全生物の9割は植物なんです。

つまり、地球の波動がどうとか、それに合わせて僕ら地球人がどうとか、
そんなものは人間だけの妄想であって、地球の生物種の主役はずっと植物であり、
地球は植物の星なんです。

サピエンス全史という本にもありましたが僕ら人間は、小麦に仕える奴隷のようなもので、
小麦はまさに人間の奴隷化に成功しているんです。

小麦はそれほど自然環境に対して強い植物ではないのですが、人間を餌付けすることによって、奴隷化し数をものすごく増やしているんですよねー。
そして、それほど苦労せず、天敵はすべて人間が対処し、環境整備も人間がせっせと整えてくれているというわけです。

ま、そもそも論なんですが、
お前は植物。
そしてお前は菌類。
あ、俺は人間で、お前は猫!

ってねー。
勝手に分類してわかった気になっているのもこれまた人間だけであって、
他の生物からしたら、全てがつながりのなかの表現に過ぎない中でなぜわざわざ個別化して、
その個別化の論理世界を構築してるの???
しかもそのあべこべな世界観を現実風にあつかってるの??
ってな感じなんでしょうねー。

 

なんか古代のエジプトの王様が、トト神により発明された文字という概念に対して、
イメージ、思想が文字という形で固定化されることにたいして、
真実が歪められてしまうのじゃないか?と懸念した。
なんて話を小耳に挟んだことがあるんですが、
まさに、文字によって生じるイメージを現実とし、イメージを大量に生産することによって、僕らは目の前の真実を見失っているわけです。

実際にはその真実はいつも目の前にしっかりと姿を表しているわけですが、
僕らはそれを文字や言葉とイメージを使って別の解釈を加えているというわけですねー。

僕らの考え事ってまさにイメージの中で行われているわけですが、
そこには制限はありません。
イメージは際限なく生産されますからねー。

そして、自らが生産したイメージ(観念)に生(せい)が縛り付けられているわけです。

この縛りもまた、イメージなので実際には存在していないわけなんですけどねー。

僕らは全てを解釈を通して観てしまうというクセがあり、
そうしないと何も始まらない。と強く信じているので、
これがイメージで幻想だと言われたところで、じゃあ実際にこの現実をどう解釈すればいいのよ。
といった思いも出てくるわけなんですけどね。

それも出てきてもいいんですよねー。

僕らが観念に縛られてしまうのは、観念があることが問題ではないんです。
そうじゃなくて、観念をとても強いものだと扱っているからなんですね。

観念があることが問題なんだと一所懸命観念を取ろうとしたり、
観念が生じていない状態を保とうとしたりしたところで、
それは終わらない戦いになってしまいます。

そうじゃなくて、観念って思ってるほど強くないし、
むしろ健気で可愛い味方なんだよっていうね。
そこが見抜かれることが見抜きなんです。

観念が生じない状態の練習は、この観念が強くないということを観てあげるための
準備運動なんです。

 

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