Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ルールからの目覚め

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おはようございます。
タクさんです。

「おどりゃぁ!型にはめたろうか!」

っていう脅し文句がありますよねぇ。

これ、申し訳ないんですが、全然怖くないとおもいません。
漫画なんかでもものすごい形相で
「型にはめたろか!」
とか言ってますが、
なんか工場で働く真面目な青年をイメージしてしまって、
急に怖さが半減するんですよねー。

なのになぜ、
「くわぁー!これ言ってやったら、めっちゃ怖がりよるで!」
って初めに言った人は思ったんでしょうかねぇ??

謎です。

ま、
型にはめる。
これはルールによって縛る。
と言ったような意味です。

コワモテの人が型にはめるという言葉を使う時は、
わしらのルールを適用したろかい?
っていう意味があるわけですねー。

つまり、
わし、コワモテやろ??
お察しの通り、ワシってば、裏社会の人間なんや!
わかるやろ??そんなワシらのルールは恐ろしいんやで?
どや?
怖いやろ???

と言ったような意味になるのが、
「型にはめたろか!」
ということなんですよねー。

うん。
まわりくどいわっ!
って感じですよねー。

 

型にはめたろかい?
だけじゃなくて、
型にはまった生き方。
とか、
私は型にはまりたくないんだよねー。

とかね。

そういう言葉は自然に使われていますよね。
つまりは、みんなルールを使って生きているということは、
しっかりと意識しているんですよね。

これが俺たちのルールだぜ!
ってね。
ルールを誇ったりもするわけです。

これって、
俺たちのゲームはこんなに面白いんだぜ!
って誇ってるのと同じようなものなんですよね。

だからルールに価値という概念がつけられているんです。

人生はおままごとのようなものである。
っていうとね。

わしの人生は子供のままごとじゃないわいっ!
ってねー。
思うとします。

それは、おままごとよりももっと崇高なことをやってるんだ!
という自負があるからなんでしょう。

これがルールにつけられた価値なんです。

これは、
野球よりもサッカーの方が好きだぜ!
って言っているのと同じで、好き嫌いでしかなく、
実際に価値の差なんて全くないんです。

ではなぜ価値がつくのかというと、好きだからなんです。
このルールで夢中になって遊ぶうちにとても気に入ったから価値がついてきたんですねー。

あらゆる価値観も基本は好き嫌いなんですよね。

以上のことでわかることはですねぇ。

ルールとは楽しむためにある!
って言うことですね。

ただ、困ったことがあるのだとすれば、
楽しむために作ったルールにいつしか価値という概念がくっついてきて、
この価値があるせいで必要以上にルールを重視しすぎてしまうことがある。

ということなのかもしれません。

また、有りもしないルールが増え過ぎちゃってるという部分もあるのかもしれませんね。

本来は好きなルールで遊んでいいし、そのためのルールなんです。
となると、ルールに縛られたくないっ!っていう思いも必要性を失います。

だって、誰も縛ってませんからねー。

ほえー。ルールってあそぶためのものやったのかー。
ってね。気づくことで、ルールの呪縛から放たれるんですよね。
これは、ルールがなくなるということではなく、
ルールの上を歩いていても、深刻な呪縛がないって感じなんです。

 

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