ほーい。
おはようございます。
タクさんです。
目覚めや悟り。
これって、なんなのか?
どうしたらいいのか?
ってねぇ。
皆さんも思うところなんだと思いますが、
結局のところ、
あるがままをあるがままにしておく。
これに尽きるんじゃないか?と思います。
ブッダの瞑想法で、
サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の二種類があるんですが、
この瞑想も、あるがままをあるがままにしておく練習をしてるんですよね。
瞑想法を調べだすと、なんだか難しい作法や段階やものすごく多くの流派があって、
もう何が何だかよくわからんっ!
ってなるかもしれませんが、作法については全く気にする必要はありません。
むしろ邪魔にしかなりません。
マントラだのヤントラだの古代のマスターだのといった教えも全く気にする必要ありません。
これらも邪魔にしかなりません。
あるがままをあるがままにしておく。
この練習が瞑想なんです。
完全な安心も許しもリラックスもあるがままの中に全てあります。
そして、作法や瞑想に付随する教えはあるがままではありません。
この教えはこの練習に集中するための方便のようなものですのでね。
練習が板についてきたなら手放すべきものなんですよねー。
さてさて、
ヴィパッサナー瞑想というのは、目の前の世界をありのままに見ていく練習をすると行ったもので、サマタ瞑想というのは無の中にある。思考のない中に落ち着く。
と行った感じなんですけどね。
あるがままをあるがままにしておく。
というのは、そもそも思考が働いてない状態なんですよねー。
なぜなら、思考とはあるがままを解釈する働きだからです。
もちろん、思考が働いていることもまたあるがままの一部だと言えるわけですが、
それは、思考が働きでしかないんだとつくづく知った後だと、
思考から深刻さは抜けているので良いんですが、
これを知るまでは、思考もあっていいんだ!という誘惑をまずはおいておいて、
一旦思考のない状態を体験してみて、思考以前の気づき。この気づきしかないよねー。
っていうのをね。
なんども確かめてみると良いんですよねー。
確かめるというのは、単に観るということです。
それ以上の詮索は必要ありません。
それには、落ち着ける体勢(寝てしまわない体勢)でゆったり座っていれば良いんです。
気づきは、あるがままをあるがままにしておいた時に、
この気づきしかないことに気づきます。
思考の働きの合間に、あるがままの気づきはあるんです。
そこにリラックスして在る。
これが僕流のサマタ瞑想です。
ややこしい作法や伝統は無視して、ただリラックスして在る。
それだけでいいんです。
思考が起こってもそれをそのまんま起こらせておくだけで、ほっておくんです。
そして、どうしても思考が騒いでそうするのが難しい時。
そんな時には、
その思いがあることを徹底的に許してあげる。
ここにあっていいことを許してあげるっていうのをオススメします。
それが許せないと思うなら、そのことを許してあげるんです。
うまくできないなら、うまくできないでいいということを受け入れまくるんです。
この受け入れまくり!これが僕流のヴィパッサナーです。
徹底的に許していくと、あるがままから逃れられないことを知ります。
そして、最後にはあるがままが残るんです。
そうなったなら、そこにリラックスして在ってみたらいいんです。
最初はすぐに思考が戻ってきて、また乗っかっちゃうでしょうけど、
それはそれでいいんです。それで完璧なんです。
なので気が向いた時に、あるがままをあるがままにしておく練習をしてみたらいいと思いますよん。
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