ほーい。
なんだか、
お風呂上がりに汗がひきにくくなったと感じている、
タクさんです。
みなさん、素敵なバスライフをお楽しみでしょうか?
まー、僕はしずかちゃん並みにお風呂が好きでございまして、
スーパー銭湯なんかは、え!!ここってもしかしたら天国なんじゃないのかな?
と思ったりします。
サウナも好きなんですが、やっぱり昭和の香りがする
おっさんの溜まり場!みたいな雰囲気のサウナが好きなんですよねー。
場内は赤絨毯になってたりして、サウナ後は焼肉が食べれたり。
みたいなねー。
そういう意味では、京都の四条大宮にあるニュー大将軍っていうサウナがねー。
もうほんとーにサイコーでして、京都に行く時はまず大将軍に行くことも予定に組み入れてたんですが、
このサイコーなサウナはもうなくなっちゃったんですよねー。
ニュー大将軍ロスでございます。
諸行無常。
あらゆるものは全て移り変わるんですよねー。
さてさて、
いろんなものが変わっていっちゃうのは残念ではありますが、
それが自然な姿です。
変化を固定化して掴み取るからこそ、変わることが受け入れられなかったりするのかも知れませんねー。
僕らは何かを掴み取る時にその対象を固定化しないと掴み取れません。
ですが掴み取った途端にその対象はもう変化をしているんです。
あらゆるものは風のようなもので、
ほんとはつかみ取れるものなんて一切ないんです。
なので、自分が掴み取っているもの。
それは全て幻想のようなまぼろしだということになってしまいます。
日本という国があり、地球という星があり、朝になると太陽が昇り、夜になると月が顔を出す。これもぜーんぶ、嘘と言えば嘘なんですよね。
ある条件下でそう呼ぶことにしようねーと決めた約束事のようなものですからねー。
同時に、こういった幻想を共有しながら生きているということはホントだということです。
何も取っておくことはできないし、今までも掴み取った気になっていただけで何も掴み取ったことなんてなかった。
このことを知れば知るほど、とっておくという必要性は失われます。
そして、とっておきたいという衝動が、手放されるほどに、
あらゆる全てが残っていくんです。
楽になりたいと思えば思うほど、苦が必要となり、
苦楽を手に入れることを諦めた時、その全てのポテンシャルは今ここに生き生きとうごめいている!
みたいなね。
そんな感じなんですよね。
変な話なんですが、すべてが失われると同時に全てが残ってくれるんです。
そして、失われる過程で「自分」もまた失われます。
すると自分感覚だとしていた「在る」という感覚が色濃く残ってくれるんですよね。
僕らが自分の感覚として捉えていた「私は在る」という感覚は、
私といヴェールが取り除かれることで、
より濃い、ダイレクトな「在る」が目覚めてくれるんです。
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