ほいっほいっほい!
おはようございます。
タクさんです。
うごくなーっ!
動くとうつぞーっ!
みたいなシーンをよく見るけど、
体験したことのないタクさんです。
同じくよく見るのは、
織田信長さんが本能寺で焼かれるシーンです。
NHKの大河ではすでに14〜5回は焼かれている信長さん。
2020年に始まる大河では明智光秀さんの物語ですので、
また焼かれるんでしょうねー。
ちなみに、僕はほとんどテレビは見ないんですが、
この大河はちょっと楽しみです。
今までの通説の本能寺の変とは違う歴史考証が進んでいますので、
どのように表現されるのか?
が見どころですよねー。
と、話が逸れそうなので戻しますが、
今日は、
「うごくなーっ!」
ということについて書いてみたいと思います。
動くなーっ!ついて書くってねぇ。
どゆこと?って話なんですけどね。
つまりはね。
まあほれ。
毎日生きてりゃ、いろんな思いとか、嫌な気分の時もあったりするでしょうし、
思考と同化しちゃうー!
なんて時もあるでしょうけどねー。
そんな時にね。
落ち着け、まずは動くな!
ってことなんですよねー。
どうにかならなければという思いにより、今から目を背けちゃうんですよねー。
ここはね。
落ち着いて、動かず、今にある。
だって、もうその今は目の前にあるんですからねー。
結局僕らってね。
状態をいい状態にしようってねー。右往左往しちゃうんです。
例えば、瞑想ってね。
本来はそのまーんまの今に落ち着く。
その練習方法なんですよね。
そして、色々と思考は起こるんですが、その思考もそのまーんまにしておくことによって、その思考の喧騒から離れて、静寂にリラックスしようよーってことなんですけどね。
だからといって、静寂だけが正しいというわけでもありません。
なんとか静寂の状態を保とうとすると、余計に喧騒の中に入って行っちゃうんですよねー。
いい状態を保とうとしたり、そのいい状態を作るんじゃなくてね。
どんな状態をも受け入れていくことが、コツなんです。
受け入れるというのは、もし今、何かそういうことが起こってるのなら、もうそれはそれで認めちゃおう!
まずは、起こってるなら、それでええやん。
ってことなんです。
「いやっ!それはどうしても許せん!」
ってね。思うなら、そう思うこともそれでいいやーん。
ってことなんです。
今にリラックスするなら、まずは動かずに、そこにいなかきゃですからねー。
静寂もリラックスも今にしかないんですよね。
退屈も喧騒もそれでいいジャーンってね。
今を認めてあげることで、今の本質があらわになってきてくれるんです。
すると、今にしかない静寂が現れてきてくれるんですよねー。
するとね。
喧騒は思考の中にしかなかったーなんてことにも気づいて来るんです。
そして、その思考は、今にありながら、今に抵抗する働きだったんですよね。
その働きもまた、あっていいことだと迎え入れてあげた時、
迎え入れれば入れるほど、何でもない今があらわになってくるんです。