Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【許しのレッスン】自分を解放させてあげるということ。

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ほい。
おはようございます。
タクさんです。

僕らのマインドは、常により良いを求めています。
より良いを求めるということは、
その裏側には「まだ足りない」があるということになります。

より良いを求める原動力は「まだ足りない」ということになるんです。

作られる「まだ足りない」はイメージ上の空想なので、
際限なく足りない理由を作ることができます。

なので、いつまでたっても「足る」には到達しないんですよね。

そして、より良くを求める思いの強さ。
この思いが強ければ強いほど、その裏側にある「足りない」を許せていないということになります。

「足りない」はただあるだけではなく、それを許せないことにより、
僕らはより良いを求め、探求するわけです。

そして探求の間は常にこの「足りない」という思いが自分に突き刺さるわけです。
そして、この足りないを許せない思いは投影され、
自分だけではなく、周りの環境や周りの人たちにも向けられるわけですねー。

 

例えば、
自分のサボりグセが許せない人は、サボる自分を罰すると同時に、
サボってる他人にもこの許せない思いが向けられることになります。

また、そうやって「足りない」を許せないことにより、
欠けてしまった自分は、より良いを求めてそれを埋めようとするだけでなく、
より足りない誰かを探して安心しようとしたりもするわけですねー。
そのために、自己を顕示することによって足りないを埋めようともするわけです。

「自分」の中に現れるあらゆる人々や環境というのは、
このように、自分のマインドのフィルターを通して作られたものですので、
全ては自身の投影なんですよねん。

また、そうやって生成された「足りなくて許せない自分」は、
自分にとって脅威にもなるんです。

なので、この足りない自分を隠そうといろいろ画策するわけですねー。

そして、あらゆる理由付けや思考のイメージで覆い隠すことによって、
足りない自分は奥深くにしまい込まれるわけです。

すると次は、覆い隠すのに使った思考イメージの方を守らなきゃならなくなるわけです。
このイメージが損なわれると、その奥にある「足りない自分」があらわになっちゃいますからね〜。

ま、こんな感じで、思いというのは複雑に絡まっているので、
実は今、問題だと思っていることって、問題の核心じゃない場合がほとんどなんですよね〜。

でね。
僕らはこの足りないが完全に埋まることで完璧になるんだ!
そして、完璧に近づけば近づくほど強くなれる!
ってねー。
勘違いしちゃうわけなんですが、
完全を求めるから不完全が必要になる。
みたいなね。
そんな終わらない探求に入っちゃうんですよね〜。

そもそも、自分の中にいる「足りない自分」は、実体のあるものではありません。
作られた幻想なんです。

この足りない自分がいわば呪いのような働きをして、自身を鞭打つ原因となっていたりするんです。

そんな自分を許してあげること。
これが、ホントの強さなんです。

もしかしたら、なかなか許せないかもしれません。
だとしたら、許せない自分を許してあげるんです。

つまり、そのまま、そんな自分をいさせてあげて良いんです。

自分が許すのではなく、すでに許されているんですよね。
そのままいさせてあげて良いことを知ることは、すでに許されていたことを知る手がかりになるんです。

そして、この許しの発見こそが強さなんです。

自分が許されていることの発見が、他の人や環境もまた許されていることの発見になるんです。