Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思いとトゥギャザーしようぜ!

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はい。
おはようございます。
タクさんです。

まーなんて言いますかねー。
僕らは思考や感情の状態について、
ちょっとこだわりがち。
ってとこがあるんですよね。

つまり、良い状態に保つことを重要視していて、
よく無い状態であることについて、必要以上に忌み嫌っている。
ということでもあります。

まあでも、
思考や感情に起こってることは天気のようなもんなので、一定の状態を保つのは無理な話なんです。

「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は 変わらざりけり」
ということでしてね。

思考や感情にしたって、

曇りなら、曇りでよし!
晴れなら、晴れてよし!
なんです。

思考や感情が、良い状態を維持していることが正しくて、
良い状態でないことは悪いこと。ということではないんですよねー。

これはね。
たんなる良いと悪いの定義でしかないんです。

この定義を採用している間だけ、
どうにも状態にこだわっちゃうというわけでしてねー。

定義を採用するというのは、定義を真実として扱っているということなんですよねん。

 

思考や感情というのは、揺れ動くものです。
これは天気のようなものでして、天気に実体はないのと同様、
思考や感情にも実体はありません。

雲が立ち込めようが、雨が降ろうが、
その上の上空は静かなもんです。

うるさいのは、周りの騒音ではなく、
思考の言葉に注意を払ってるから、
そのような「演出」がなされているだけであって、
あるのは静寂そのものなんです。

ま、
そう聞くとねー。
こんどは、雲の上にいくにはどうしたら良いんだろう?
って思っちゃうのが思考ちゃんなわけです。

ですが思考ちゃんは、この雲であり天気な訳ですから、
雲の上に行くことはできません。

思考ちゃんは天気であると同時に、実体は持たないんです。

「だったら、どうしたらいいのぉーーー!」
って話なんですけどね。

天気に罪はありませんよね。

だから、もう今、ここで起こっている思考ちゃん、そして感情ちゃんを、
100%容認してやりゃ良いんですよねー。

これは何も、「嫌なことを受け入れなきゃならない。」ということじゃありません。
嫌な思いが起こることを容認してやるんです。

腫れもよし曇りもよし!
ということです。

曇りが嫌だー!という思いがあるなら、それもよし!なんです。

曇りも晴れも、どんな思いも、思いっきり容認してやる。

この容認は思いのコントロールという無謀な戦いの終止符になるんです。

どんな思いもあって良いんだ。
どんな思いともトゥギャザーして良いんだ。

という発見が、既に自分は許されていたということの発見にもなるんです。

 

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