Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

大正義を思いっきり無視!

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ほい。
おはようございます。
タクさんです。

商売の基本として近江商人の有名な言葉が
「三方よし」
という言葉です。

この三方とは、「売り手」「買い手」「世間」。
を意味します。

売り手によっても良くて、買い手によっても良い。
これはもう当たり前で、プラス世間にも良くなければならない。

という理念なんですよねー。

つまり儲かって、買った人も満足して、そして世のためにもなる経営をしようという意味です。

最近もコンプライアンス。コンプライアンス。って言ってますけど、
このコンプライアンスというのがまさに「世間」です。

まあそういうわけで、経営とは、みんなのためにお役に立たなければならないんだー!

みたいなね。
そんな理念なんですよね。

働くとは、側(はた)を楽(らく)にする。
ということなんだよー。

みたいなね。
そんな話もあったりします。

日本のこういう格言って、ダジャレが多いなぁ〜。
なんて思ったりもするわけですが、
まあ、それはそれでいいとして、

今日は、この前置きを思いっきりぶった切る
役立たずになって良い!
期待になんて応えなくても良い!

みたいなお話を書いてみようかなーっておもいます。

 

世のため人のために生きましょう。
とか、
人に迷惑をかけないようにしましょう。

みたいなね。
そういう言いつけってねぇ。
おもいっきり大正義な感じがするじゃないですか。

だから、否応無くそれに従わなければならない。
人に迷惑がかかるかもしれないことは、たとえ自分がやりたいことでもやってはいけない。
みたいなね。

挙げ句の果ては、ある人の共感は得られても、
ある人の共感は得られないかもしれない。

これだけで、迷惑かもしれない。
って思っちゃったりしてねー。

そんなん当たり前じゃん!
みんなから共感を得るなんて、ブッダでもキリストでも無理な話やで!
ってことなんですけどねー。

それで、自分のやりたいを無意識に押え込んじゃったりしていたりすることもあるんですよねー。

世のため人のためも良いんですけどね。
やっぱり、僕らが、一番大切にしてあげるのは、
まず、「自分自身の表現」なんです。
つまりは自分のためですね。

「自分」じゃなくて「自分自身の表現」と書いたのは、
自分とかくと、本当は自分ではないのに自分だと勘違いしている「自我」という作り物の観念を大切にしてあげたらいいんだ!
みたいな誤解を招く場合があるので、
「自分自身の表現」と書きましたけどねー。

もっと自分の表現。つまり自分がやりたいこと、表現したいこと。
この声をしっかりと聞いてあげるようにしたらいいんです。
これが大前提。
世のためとか、人の迷惑とかは二の次でいいんです。

この声は、簡単に外から来た観念にかき消されてしまいますので、
注意深くきいてあげなきゃならないんです。
なので、ちゃんと意識的に聞くようにしたらいいんですが、

コツとしては、聞こうとするのではなく、雑音を遠ざけるようにすることです。
そうすれば勝手に湧き上がってきます。

ここでいう雑音が、
「〜であるべき」「こうあるべき」といっが観念です。

なので、
役立たずでもいいし、
人の期待なんてものは思いっきり無視して、
自分の要望に応えたらいいんですよねー。

そして、自分の言い分を無視するんです。

自分の「要望」に応えて「言い分」を無視するって、ちょっとややこしいですよね。
ここの違いはとっても微妙なので、またの機会に書いてみたいと思いますが、
簡単にいうと、
言い分っていうのは、簡単に言うと不平不満です。
ここはスルーして、
「こんなことがしたい〜!」
みたいなワクワクに応えてあげる。
という感じです。

言い分は自我的な観念から出てきていて、
ワクワクは観念じゃないダイレクトなイノチの表現から湧き出て来ているという感じです。

正義ヅラしている観念。
これが大きな雑音になっています。
なので、一旦、これらの雑音はおもいっきり無視して、
自分のワクワクを最優先させてやりましょう。

 

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ご検討くださいませ。

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