Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自然のままに

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はい。
おっはよーございます。
タクさんです。

みなさん、ワイルドな日々をお過ごしでしょうか??

さて、
ワイルドってねぇ。
なんていうか、荒々しい男っ!

みたいなイメージがあったりするじゃないですか。

1.5リットルのコカコーラのペットボトルの蓋を開けた途端捨てちゃうっ!
とか、
ジージャンの袖を切っちゃう!
みたいなイメージもあるかもしれませんが、、、。

そういえば、僕が高校生の頃、Tシャツを買うと、
首回りをハサミで切り取ってアレンジしておりました。
今思い出すとちょっと恥ずかしい・・・。

ま、黒歴史の話は置いておいてですねぇ。

ワイルドというのは、直訳すると
「自然のまま」
みたいな意味なんですよ。

自然のままにしておく。

これがワイルドだということなんですよねー。

 

でね。
僕らだって、自然の一部です。
なんなら、人工物だって自然の一部ですからねー。

なので、ワイルドに生きればいいんです。

ワイルドに生きるというのは、自然のままに在るということです。

自然とは、言葉の解釈を通さない、ありのままの世界です。

「こうしたほうが良いのではないか?」
「こちらが正解なのではないか?」
「こっちのほうが得かな?」
みたいなね。
そんな、言葉の解釈を通さずに在ってみる。
という感じですねー。

思考ってね。言葉とセットで働くんです。
そして、この働きを維持させるのにも結構なエネルギーを使いますのでね。
疲れちゃうんですよ。

でも僕らって、常に思考が働いているのが当たり前になっていて、
頭の中にこだまするあらゆる言葉に慣れきっているんです。

これ、言葉を覚える前はなかったことなんです。
おそらく動物も頭の中で延々と言葉によるストーリーをリフレインなんてさせてません。
僕ら人間ぐらいだと思います。

そして、この言葉に慣れきり、この言葉に耳を傾けすぎなので、
頭の中にこだまする言葉の言う通りにしようとするクセにハマってるんです。

しかも思考は、問題のあることばっかりに注目するもんだから、
あまり楽しい思考にハマらせてくれなかったりもするわけでして、
楽しくない思いというのは、余計にエネルギーを使うので、
疲れも倍増しちゃったりもするわけです。

この言葉と思考から自由になること。
これがリラックスなんです。

ここに物事の本質はありません。
なので、まさしく幻想のストーリーだと言うわけです。

普段、無意識に言葉の奴隷になっていることに気づくことで自分もその枠にとらわれていたことに気づくんです。

幸せというのは、言葉の条件によるものじゃなく、今ここでリラックスしたなら、もうそれはすでに幸せなんですね。

僕らはすでにここに在って、すでに完全なイノチの表現そのものであり、
この表現こそが喜びであり至福なんです。

この喜びの声は思考の言葉という大きな雑音にかき消されているだけで、
常に、僕らに語りかけてきてくれているんです。

自然のままに、
まさにワイルドで在る時、
イノチの表現、喜びの表現そのもので在るんです。

 

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