Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

万物は流転している

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ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

僕らが不安に感じることって色々あると思うんですが、
その一つとして、
「わからないこと」に対する不安というのもあると思うんですよね。

思考ちゃんは、
「AはBである。」
と決めたがります。
これがバシッと決まると安心ですし、
これが決まらないと不安になるんです。

ですが、自然とは常に変化し流転するというのが大原則ですのでねー。
AがBであるというのは、瞬間を切り取ったならそうかもしれませんが、次の瞬間にはもう変わっちゃう可能性があるわけです。

なので、思考ちゃんはわからないことに対する不安からは逃れられないという宿命があるんですよね。

「万物は流転する」
この万物流転というのは、ヘラクレイトスというギリシアの哲学者の言葉です。

川は常に流れていて、とどまることはない。
なので、誰も同じ川に入ることはできまへんでー!!

ってなことを言ったことで有名です。

これだけを聞いたら、そんな細かいことに神経質にならなくても・・・。
って思っちゃったりもするわけですが、

僕らは無意識に、川とか山とかあらゆるものを言葉で表現していますが、
言葉で定義されたあらゆることは、真実を指し示すことはできませんよー!
ということを表現してるんですよねー。

 

このヘラクライトスの万物流転と、お釈迦さんの諸行無常というのは、同じことを表現してるんだと思います。

僕らは何かを理解する時、それを固定化しないと掴みとれません。

そして、固定化するためのツールとして言葉というものを使います。
万物のあらゆることを言葉で固定化し、世界観を作り上げるんです。

そして言葉によって固定化された世界観を通して目の前の世界を見ることによって、
物事の真実性を見失うんです。
そして、見失っていることにすら無意識になってしまうことによって、
僕らは「わからない」ということに不安を覚えるようになるわけなんですよねー。

ちょっとややこしいかもしれませんが、
言葉によって表現されるあらゆることは、

「あえて、こういうことにしておこうねー。もちろん真実ではないことは承知の上ですけどねー」

ということなんですが、いつのまにやら、

「こういうことにしておこうねー。」
がどっかにいってしまい、

言葉の定義で埋め尽くされた世界観がいつしか真実だと錯覚されてしまう。

つまり、目の前の世界が言葉によるレッテルに乗っ取られちゃうというわけです。

ありとあらゆる常識。
ルール。
正義。
正しいとされていること。

これらも全て、レッテルです。

レッテルによって僕らはひとまず、安心するものの、
このレッテルを掴み取れば掴み取るほど、ツールでしかない言葉の定義に、僕らはがんじがらめに囚われることになり、
不自由さや苦しみを感じ始めるわけなんです。

なのでねー。
まずはあまり言葉の定義に神経質にならないことですねー。
あらゆる言葉は、初めて聞いた時は、意味のない呪文のようなものだったんです。
ネコのニャッ!という鳴き声と変わりありません。
文字にしたって、シミのようなものでしかありません。

あなたの頭の中でリフレインされる言葉もまた、無意味な呪文でしかないんです。

意味や定義に神経質にならず、お気楽さでもって聞き流してあげたら良いんです。

それが、思考ちゃんの作り出す幻想から抜け出すカギなんです。

お気楽さがあなたを救い出してくれるんです。

 

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