Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

世間お化け

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はい!
おはようございます。
タクさんです。

僕らが子供の頃、
大いに盛り上がった話題のひとつが
ネッシーです。

僕が初めて見たドラえもんの映画も、
のび太と恐竜
でしたが、あそこにでてくるピー助もきっとネッシーがモデルになってると思うんですよね。

このネッシー。
わしも子供心に思ったもんですよ。
きっと大人になる頃までには、このネッシーの姿がテレビでも観れるんだろうなー。
ってね。

で、今、すっかりおっさんになったわけですが、全然ネッシーの姿は見れずじまいですわ。

しかも、ネッシーの正体が実は巨大うなぎだ!って言うじゃないですか。
あくまでも説ですけど。

巨大うなぎといえば、琵琶湖にもけっこうおるらしいんですよねー。
味はあまり美味しくないらしいんですがねー。

 

ま、ネッシーの写真っていうのは、半分が水面に隠れている。
というのが大きなミソですよねー。

僕らはなにかの一部をみたとき、
残りの見えていない部分は脳内で勝手に作り上げますのでねー。

ま、こうやって一部を見て全体像をでっち上げる。
そういうクセを僕ら人間は持っています。

ちょっと厄介なのが、このでっち上げをでっち上げだと認識してないところなんですよね。

とある人を見た時、
その人はたまたま怒っていた。

次に見た時も、たまたま怒っていた。

こうなるともう、
あの人は常に怒っている人だ!
あの人は短気だから話す時に気をつけよう。

といったようなでっち上げを作っちゃうんですよねー。

日本人はこうだー。アメリカ人はこうだー。
さそり座の女はこうだー。
乙女座の男はこうだー。
B型はああで、O型はこんな感じで〜。

とね。
あれこれとでっちあげようとするんですよね〜。

でも人ももちろん、あらゆることは常に変動する天気のようなものですのでね。

それを固定化しようとすると、すべてはでっち上げになっちゃうんですよねー。

このでっち上げられた妄想に囚われるというのは、
ものすごーく無意味であり、無駄なんです。

ですが、ぼくらってこの無駄に思いっきり人生を乗っ取られたりするんです。

なぜそうなっちゃうのかというと、
それは、でっち上げを現実扱いするからです。

これは、いもしないオバケを怖がって、トイレに行けない。
というのと同じようなことなんですよねー。

でっち上げをでっち上げだと気づくこと。
ありもしない妄想を妄想だと気づくこと。

そして、妄想からくる思考や恐怖の相手をしないこと

これが本来ある自由さを思い出し、自由さを謳歌するための第一歩となります。

僕ら現実だと思っているありとあらゆるものは、でっち上げであり、妄想です。

特にありがちな妄想は、「世間」というものです。

こいつに至っては、妄想に妄想を重ねたものであって、
ほーんとに気にする価値もないものなんですよねー。

世間なんてもんは、実在しませんからね。

しかも、Aさんの世間とBさんの世間、
私の世間とあなたの世間は全部別物ですからねー。

この世間を自分や他人に押し付けるなんてことはねぇ。

子供がやってる鬼ごっこの鬼が、本物の鬼なんだ!と思い込む以上の妄想ですのでねー。

子供ですら鬼ごっこの鬼を本気にしてないのに、世間なんてありもしないものを押し付けたり、押し付けられたりっていうのはねぇ。

「もう、あなたのおままごと、本気すぎ〜!!!」

って感じなんですよね。

 

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