Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

変わろう!と言う幻想

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はーい。
おはようございます。
タクさんです。

いやー。このまえね。
iphoneの機種変更をしたんですよ。

使ってたiphoneをねぇ。
落としちゃいましてね。

ガラスがバキバキに割れちゃったんですよねー。
なので、メンドクセーー!!!
と思いつつも機種変更をして来ました。

あれねぇ。
たまに割れたまま使ってる方おられますけど、
気をつけなきゃいけませんよ。

割れたガラスの画面をスラスラと指で操作してるとね。
ものすごーく細かい破片が指に刺さっちゃうことがあるんですよ。
しかも無数に刺さっちゃうと、最悪の場合は感染症にかかり指を切断。
なんてニュースもありますからねー。

お気をつけくださいまし。

はい。
と言うわけで、今日は「変わる!」
と言うことをテーマに書いていきたいと思います。

 

僕らがかけられている催眠のひとつ。
そこに「変わらなければならない」
というものがあったりします。

僕らは無意識に、
より良くなるために
「変わらなきゃっ!」
って思ってたりするんですよねー。

そして、
「変わる」ためのヒントを追い求めていたりもします。

「変わらなきゃいけない」
から、色々と探求し、答えを求めたりしているわけです。

そして、時にこの
「変わらなきゃ!」
は、僕らを苦しめるんです。

変わるのに疲れた時、
変われない自分という自己嫌悪や罪悪感。
そして、変わらないからずっと続く苦痛。
という二つの理由に苦しめられるんです。

この「変わる!」とか言うもの。
これこそ巧妙に演出された錯覚なんですよねー。

そしてこの錯覚が、自分で自分に鞭打つ行為を生み出すんです。

変わらなきゃ!と言う思いがあるからには、
どこかに「変えるべき自分」と言うものがあるわけです。

この自分は、事あるごとに判断された
「ダメだ!」の積み重ねで作り上げられた幻想なんです。

何かを耳にするたび、
何かを目にするたび、

僕らは条件を刷り込まれ、
そして「足りない自分」という幻想を作り上げます。

もちろんこれは幻想なので、あるように見えて無いものです。

これが、「変えなきゃ!」「変わらなきゃ!」を生み出し続けるんですよねー。

「今すぐ!簡単に!君は変われるっ!」

なーんて言葉に、僕らが弱いのもそのためです。

もしね。
今、あなたが変われない自分に悩んでいるのだとしたら、
変わろうとしなくても良いんだよ!
ということを自分に許してあげてほしいんです。

この「変わる」「変わらない」というのは、概念的な思い込みの一種です。

変わる・変わらないという物の見方。
これがフィルターであり、色眼鏡なんです。

変わらなきゃ、そのままじゃん。
だったらダメじゃん。

と言う思いもまた、この色眼鏡を通して出てくる思考なんですねー。

「変わる」「変わらない」と言う概念を丸ごと置いておいてあげたら良いんです。

置いておくための準備として、
「変わらなくても良いよー」という許しが必要になると言うわけなんです。

 

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