Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

あなたの中の素晴らしさが輝くとき

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どうもー。

今もやってるのか?どうかは知りませんが、
皆さんも大好きな、
「世界名作劇場」というアニメ。
第一弾はあの有名な「フランダースの犬」で、
他にも、「小公女セーラ」や「あらいぐまラスカル」
など様々な名作を輩出し続けています。

そんな中、なぜか
世界名作劇場といえば、「牧場の少女カトリ」を思い出してしまう
タクさんです。
おはようございます。

皆さんは、やっぱり「愛少女ポリアンナ」でしょうか?
たしかに愛少女も良い物語でしたよね。

 

さてさて、
喜びに
「これは、正当な喜びだ!」
とか、
「その喜びは、ちょっと間違っている!」
なんて判断の余地が入り込む隙なんてありませんよねー。

あーだこーだ言わずに喜べば良いですもんね。

そもそも喜びに条件も原因も理由も必要ありません。

僕らはもともと喜びでできているんです。

生まれてすぐに出す、オギャーオギャーという声。
これはもう喜びの表現そのものです。

木々はノリノリで太陽に向かい枝を伸ばし、
風は嬉々として葉をゆらします。

あらゆるものは止まることなく、壮大かつ完全な連携で表現をし続けています。
この表現こそが喜びなんです。

喜びに、正解や不正解という幻想のイメージを付け加えると、
幻想のストーリーがこの喜びに蓋をして、ストーリー上の喜びにフォーカスしちゃったりします。

よくね。
セッションなんかでも、
「こんな感じで楽になりました!」
「でも、これであってるんでしょうか?
間違ってないでしょうか?」

みたいなことも聞かれるんですけどね。

楽になったことに間違いの入り込む余地なんてありませんもんね。

楽な感じ。感覚は、力を抜いたリラックスです。

これこそ僕らのデフォルトの状態です。
当たり前の状態。スタート地点なんです。

そこに間違いも正解もありません。

だからそんなあなたの中に起こった楽さを味わってあげたら良いんです。

それは、あなたの楽さなんです。

あるいはねー。

何かしらの本や、誰かの言葉で、
じんわりと温かい気持ちになったり、
許された気分になったり、
あ!と喜びポイントに目覚めたりしたのなら、

それは、本や誰かの言葉にその癒しや許しがあったのではなく、
まさに今、あなたの中で許しや癒しが起こっているのです。

誰かを素晴らしいと感じる時、
それはあなたの中の素晴らしさが共鳴しているんです。

他の誰かがすばらしいだけじゃなく、あなたの中の素晴らしさが共鳴しているんです。

誰かの瞳に輝く光を見たのなら、それはあなたの瞳が光り輝いているからなんですねー。

そんなあなたの感覚に
正解や間違いがあるはずはありません。

ファッと力が抜ける感じがしたのなら、
楽になる感覚を感じたのなら、
そこに思う存分浸りきってあげたら良いんです。

 

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