Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思い込みをちゃんと思い込みとして悟るということ

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ほい。
おはようございます。
タクさんです。

ところで、みなさん。
リラックスしてますかー?

まあそもそもね。
リラックスっていうのはするものじゃありません。

リラックスってなにかというと、
力を抜いてゆっくりすることなんですが、

これはつまり、何かやっていることをやめる。
ということなんですよねー。

机の上に書類を出して作業をする。
そして、書類を片付けて作業を終わる。

この机の上に何にもない状態。
これがリラックスであり、
リラックスというのはなんていうか、通常の状態なんですよね。

 

何か考え事をしている時も、
どこかに力が入っているもんです。

特に不安なことや迷っていることを考えていたりすると、
結構力が入っています。

この力を抜くこと。
これがリラックスなんです。

不安や悩みは力を入れてないと持続できないんですよねー。

解決策がわからないものが不安や悩みだというわけですが、
わからない解決策を探し続けることで、不安や悩みを継続させているんです。

ちょっとこれって皮肉ですよね。

このリラックスは、別に非二元や悟りとは関係ありません。

非二元や悟りは訪れるものでも理解をするものでもありませんのでねー。

これは、思い込みを思い込みと悟るということです。

思い込みを思い込みと知るためには、一度思い込みから離れてみないことには始まりません。
思い込みから離れた状態を目指すというわけではないのですが、
僕らができるのは思い込みから離れてみるということだけなんです。

思い込みを思い込みと悟っているなら、思い込みはなんら害にはなりません。

そもそも、思考は便利な道具ですのでねー。

思考は単独では働けません。
感情や体の感覚の力を借りないと、思考は働くことができないんです。

感情もまた単独では働けません。
感情を説明する思考のストーリーや体の感覚と一緒にならないと
働けないんです。

思考や感情や体の感覚はひと繋がりの働きなんです。

思考を思考で止めることはできませんので、
力を抜いてリラックスしてみればいいんです。

すると自ずと思考も働かなくなるんですよねー。

そして、この思考の中にしか分離は存在せず、
善悪も、
正しいも間違いも、
愛のなさも、
そして、自分という存在も、
この働きの演出の中にしか存在してないんです。

そして、どんなことが起こっていても必ずここに在るもの。

それが、気付きの意識だというわけです。

これがフォーカスされると、一部分だけに注目するということになり、
この部分性が分離を演出します。

フォーカスがとけると、分離の演出もまた解けていくわけです。

 

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