ほい。
おっはようございやす。
犯人はヤス。
いつもね。
マックブックとipadと
充電器とwifiと電源と
あれこれ小物と
荷物が重いタクさんです。
たすき掛けのバックを使ってたんですが、
なんか片足だけ痛くなってきたので、
リュックに変えると少し足が楽になってきました。
いやぁー家にいるとねー。
誘惑が多すぎて、ろくに作業ができないんですよねー。
なので、いつでも作業ができるようにと、
道具を持ち歩いているわけですが、、、。
とにかくUSBの形だけでも色々あるから、コード類がかさ張るのにイラっとしております。
みなさん、どんな荷物ライフを送っていらっしゃるのでしょうか?
まあしかしなんですかねー。
僕らはね。
思考によってあらゆる現実を創ることができます。
そして、この現実が思考によって作られたことを忘れちゃうんですよね。
これはまさに、ゲームの世界に没頭するのと同じ構図でしてね。
ゲームに没頭し、ゲームだと忘れた時、このゲームの世界は現実となるんですが、
これと同じようなことが起こってるわけなんです。
ゲームは失敗と成功をうまく配置することによって現実感を演出します。
このさじ加減が自分にバッチリあってくると、僕らはゲームに熱中するわけです。
でね。
この思考というのは、どういう仕組みなのか?と言いますと、
分離という手法を使って整理整頓をする仕組みになっているんです。
この分離という観念によって作られたストーリー。
これはあまりに狭い世界です。
ここに閉じ込められることで僕らは演出された不足感や不自由さに苦しむというわけです。
苦しみという具体的な何かが存在するわけではなく、苦しさとは解釈にすぎないんですが、
人生というのは、まさに思考によって演出されたストーリーですので、この人生には苦楽が付きまとうわけですねー。
なのでね。
人生を楽だけにするというのは無理ゲーです。
楽は苦がないと感じることができませんし、苦も楽がないと気づくことすらできませんのでね。
というわけで、人生も現実も思考もまさに分離によって紡がれるストーリーであるわけですが、この分離というのは何も悪いことじゃありません。
僕らは何かを聞くと条件反射的に思考で掴み取るクセがあり、掴み取ったものは思い込みなんですが、この思い込みだということを忘れてしまうんです。
なので、分離が問題なのか!
よっしゃ!分離が悪い!
ってなっちゃうんですよね〜。
良し悪しで捉えること。
これこそ分離やん!
って話なんですけどねー。
まだまだ思考と自分が同一化してしまうんだがどうすればいいのか。。。
と悩んじゃう方もおられると思うんですけどね。
このどうすればいいのか?という思いもまた、思考として起こってるだけなんです。
どうすればいいのか?に乗っかっちゃうのは、これが思考ではなく現実と認識してるからなんですよね。
思考を思考として扱わないことで、ねじ曲がってるわけです。
これが混乱を演出しているんですねー。
で、ややこしいことに、
おっ!つまり、この混乱が問題なのか!
よっしゃ!混乱が悪いっ!
ってなっちゃうのもこれまた思考ちゃんなわけなんです。
この思考の働きをコントロールしようとしてもそれは無理な話なんです。
それはブワーって吹いてる風にむかって体を張って止めようとしてるようなものでしてね。
頑張れば頑張るほど、モロに風の勢いを浴びるだけなんですよね。
ただ、面白いことに、思考というのは働きなので、働かせないと働かないんです。
走っているから、走りがあるのと同じようなものでしてね。
思考を思考でコントロールしようとするのは、
走りながら走り方で走るのを止めようとするのに似てて、
思考はコントロールできないんですが、働かせている力を抜いてやれば止まるんです。
走るのを止めるのは足を動かす力を緩めて止めてやればいいのと同様にね。
思考を止めてやるのも、体の力を抜いてやればいいんです。
僕らが何かを考えている時は、体のどこかに微細な力が入っているんです。
リラックスしてその場所を探ってみてください。
そして、力の入っている部分をジワーンと緩めてやるんです。
逆にいうと、あれこれと悩んでいる時に起こっているのは、
ちょっと体のどこかに力が入っていただけということやったんか!
ということもね。
緩めてやると気がつくかもしれません。
この辺が極まってきますと、思いつきというものに気付きやすくなってきます。
結局のところは、
思考や体の感覚、感情にありとあらゆるもの。
これらのすべては気づきとともに在り、気付きとまさに同じものであって、
つまりは、この気付きの意識だけしかないんやんっ!
ってことなんですけどねー。