はい。
おはようございます。
タクさんです。
昭和の大横綱!千代の富士は、
パワーがあり過ぎて、よく肩を脱臼したんだそうです。
そしてそれを補う筋力の鎧をまとうために、トレーニングをしていたそうです。
千代の富士は太ったお相撲さんとイメージとは違い、
ボディビルダーやプロレスラーのように、
筋肉がすごいっ!って感じでしたもんねー。
ちなみに、毎日腕立てを1000回はしていたそうです。。。
普段の練習以外に、、、。
すげーーー。
さて、
手首の骨折で、ボクサー骨折というものがあります。
ボクサーもまた、一番気をつけるのが拳の怪我だそうです。
間違った当て方をすると骨折してしまうのだそうです。
試合ではテーピンブを巻き、グローブをはめていても、結構拳を怪我してしまうのだとか。。。
まあなんていいますか、
ゲームなんかでは、相手に攻撃を与えると相手にだけダメージを受けたりしますが、
実際は、ダメージを与えた分、自分もまたダメージを受けるんですよね。
千代の富士しかり、ボクサーしかり。
強い攻撃力は、その分、自分へも帰ってくるんですよね。
僕らは息を吐けば、吸わなきゃいけないですし、吸ったままでいられるわけもなく、
また吐かなきゃいけません。
さてさて、
「人を呪わば穴二つ」
という言葉があります。
これは、人を呪い殺すのなら、自分にも帰ってくるという意味です。
穴二つ???
穴ってなあに?
って話なんですが、
穴とは、お墓のことなんです。
人を呪い殺そうとすると、あんたも死にまっせ。
という意味なんですね。
まあ、こう言った言葉のように、
人に向けた思いは自分にも帰ってくるよ!
と言ったような意味合いの言葉って多いんですが、
僕は、人を呪っている時、この呪いの言葉を一番近くで聞いているのは自分だよ。
ということなんじゃないのかなー?
そのことを戒めているんじゃないのかな?
って思うんですよね。
僕らは、誰に向けられた言葉なのか?というよりは、その言葉の裏にある思いを受け取ってしまいます。
あいつが嫌いだ!という思いで、誰かを攻撃していると、その声は相手に届くのと同時に、もっとダイレクトな呪いの思いは自分が一番味わうことになってしまうんです。
結局ね。
自分を裁くのも自分だし、自分を虐げることができるのも自分だけなんです。
他人があれこれと文句を言ってきても、
「虫がなんかゆーとる」「禿げたユデダコがなんかゆーとる」
と思ったなら、その言葉は自分に入っては来ないんですが、
呪いを言うほうは、他人に言いながらも、その言葉を一番自分が聞いているので、
自分にダメージを与えているんですよね。
逆に、人に感謝するとその感謝の言葉を聞くのもまた、自分が一番近くで聞くわけです。
だったら、ひとも可愛く可愛がってあげることで、自分のことも可愛がってあげることになるんですよね。
面白いことにね。
自分のダメさを可愛がってあげることで、他人のダメさにも寛容になります。
逆に、他人のダメさに寛容になればなるほど、自分のダメさも許せるようになるんです。
この辺が極まってきますとね。
もう、あれがダメでこうしたほうが良い。
みたいなことって、全部観念にすぎないじゃん!
ということもまた、明らかになってくるんですよねー。
許してないから、観念が真実となり、
許しちゃうと、観念がイメージ上の観念でしかないということがバレてくる。
みたいなね。
えー!他人を許さないことが、自分を許せないことになってたなんで!
そして、そのことが自分を苦しめていただなんて!!!
そんなことが明らかになってくるんです。
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