Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自分も動物。人も動物。

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ほーい。
おはようございます。
タクさんでございます。

以前一緒に働いていた同僚なんですけどね。

とっても面白い人がおりまして。

その彼とお客さんのところにお伺いをするわけですが、
彼は、その担当者さんによって、急に無口になるときと、
饒舌になる時の差が激しいんですよね。

彼が無口の場合は僕が色々と喋り、
彼が饒舌な時は僕は後ろに引っ込んでる。
って感じだったんですが、

彼の無口になる時の基準がよくわからなかったんです。

相手が偉い人の場合に緊張をしているというわけではなく、
年下の若い営業マンの場合でも、無口になる場合もあれば、
お客さんであり社長である人であっても、饒舌になる場合もあり、
こちらがお客さんという立場の場合でも無口になる場合もあって、
どういう基準なのだろう??と気にはなっていたんです。

ある日、思い切って聞いてみたんです。

「ナガイくん(←僕の名字です)」
「それはなぁ、、、喧嘩して勝てそうかどうか?やねん!」

ということでした。

つまり、こいつは喧嘩に勝てるなぁ。。。
と思ったら緊張せずに流暢に話せて、負けそうと思うと無口になるんだそうです。
それを聞いて、くはーっ!ワイルドやなぁー。って感じました。

なので彼の仕事でのスキルアップの方法は、
喧嘩に強くなること。でしたので、
いつも、ひたすら筋トレをしていました。

たまに仕事中、後ろの方から、
「んんーっ!うんんっー!」
と奇声が聞こえてくるなぁと振り向くと、
よく自転車のチューブを引っ張っていたのを思い出します。

 

さて、
人って思い込みの中に世界を作り、
そしてまた、その思い込みの世界を共有することができるということで、
この思い込みの世界を現実として扱うことができる。

これは、人としての特技ではあるんですが、
時として、この特技が幸せというものをも条件の中に閉じ込めてしまうことで
不幸というものもまた、この思い込みの中で作ってしまう。

みたいな話をねー。
このブログでも書いているわけですが、
まあ、この不幸というものの中でも一番多いのは、人間関係だったりすると思うんです。

僕らは、思いの世界を共有すること、そしてルール作りをするのがうまい動物です。
ですが、この作られたルールに守られる場合もあれば、ルールに縛られてしまい、自由を失っちゃう場合もありますのでねー。

そして、このルールというのは、ほとんどが人間関係に関するルールなんですよね。

僕らは獣ではない!人間なんだ!

なんて言葉もあったりしますが、これもまた、人間が勝手に思い込んでいる思い込みの一つに過ぎません。

人間たるもの、立派に生きなければならない!という立派と立派じゃないというのもまた、
条件による思い込みなんです。

獣の方は、自分は劣った獣だ。なんて思ってすらいないでしょうし、
人間は素晴らしいとも思ってないでしょう。

特に差別的にみてないんですよね。
もちろん、喧嘩に勝てるのか勝てないのか?食えるのか食えないのか?という見方くらいはしてそうですけど。

そもそも立派である必要がありませんからねー。

立派である必要があるのは、社会というルールがあってこそ必要になる概念ですのでねー。

ま、そういうわけですのでね。

人間だけは僕らは獣ではないと思っていたとしても、
結局、人間は動物なんです。

自分が情けないと感じることがあってもねー。
動物なんだから、そりゃそういうところもあるっていうもんです。

また、どうしても嫌いな人がいるのだとしても、
その人も動物ですのでね。

ま、動物だから仕方がないわけです。
自分も動物。人も動物なんです。

 

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