はい。
おはようございます。
タクさんです。
真田幸村といえば、
戦国時代の英雄のひとりですよねー。
そんな真田家の旗印(はたじるし)といえば、六文銭です。
50円玉みたいなのが6つ並んだマークになっています。
これは、三途の川の渡し賃が六文だと言われていたからなんですよねー。
わしらはいずれ死ぬ。
死ぬのに必要なのは、三途の渡し賃だけなので、それ以外には何もいらない。
わしらは死ぬ覚悟はできておる!
という意味なんでしょうねぇ。
くはぁー。
そんな旗印を掲げて、やってくる集団ってさぞかし怖かったんでしょうねー。
ちなみに、当時の一文はだいたい今の価値の50円ほどだそうです。
三途の川の渡し賃は300円くらいなんですね。
一文銭と50円玉もちょっと似てますもんね。
僕らっていろんなものを得たいと願ったりしますが、
取っておけるものって実はないんですよね。
モノもいずれは壊れたりしますし、
電化製品だっていつかは動かなくなる。
車にしてもそうですもんね。
お金は持っておくだけだと意味はないし、
食べ物を買い込んでも、腐ってしまう。
能力を手に入れたとしても、ほっておくと錆びつきます。
手に入れたあらゆるものは、取っておけるものなんて一つもなく、
それはいずれ手から離れていくものなんですねー。
身体にしたって、自分で手に入れたものではなく、
もちろん自分が作ったものでもなく、
僕らが、自分を自分と認識する以前からすでにあって、
それはいずれ自分の手から離れ、お返しするものですもんね。
そーなりますとね。
ありとあらゆるものは「借り物」だということですよね。
最近はシェアリングエコノミーなんていう考え方が浸透しつつありますが、
もともとあらゆるものは借り物に過ぎなかったというわけです。
僕らの身体も含めてね。
でもねぇ。
ありとあらゆるものは「借り物」だとすればですよ。
そもそも、自分っていないってことになりません??
ありとあらゆるものは「借り物」。
つまり、持っておけるものはない。
つまり所有というのは、幻想だということになります。
所有するものがいないということはですよ。
所有をする自分というものもいません。
自分というものを担保するものはどこにもないんです。
僕らは何も持っておくことができないということは、
今まで何も持っていなかったということになります。
すると、自分のものと、自分のものではないもの。
といった分け方も意味を失います。
自分を自分とするものが無い中で、僕らは借り物を自分とすることで、
自分と自分以外という仮想世界を作り上げているに過ぎないということなんですよねん。
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