Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自我と真我の勘違い

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ほーい。
おはようございます。
6月は暑かったのに7月になってやたら寒いので困惑しているタクさんです。

実は、このブログでは、
あまり時事ネタとか季節的な話はしないようにしてるんですよね。
以前書いていたブログで、今でもアクセスをしてもらえる記事があるんですが、
その記事には当時流行っていた芸人さんのネタを書いていて、それが今読まれてるってのもどうかなぁ〜。
なんておもってねー。
地震や災害のこともね。
知り合いの間では、「大丈夫?」とか話したりはするんですが、
ブログで話題にしていません。

でも、、、
今日はやったら寒いので思わず書いちゃいました。

まあいいや。
というわけで、今日は自我と真我ということをテーマに書いて見たいと思います。

 

森羅万象を二極一対として見たりすることってありますよね。

右と左、
オモテとウラ、
陰と陽、
仁王像の阿と吽

そして、北斗と南斗。。。

暗殺拳しかり、
北斗の拳と南斗の拳。

みたいなね。

まあこれは、二極が一対になっているというよりは、
二極に分けて見るから一対のようになっているだけなんですけどねー。

なんかね。
その流れで、

自我と真我や、
色と空

というものも、オモテとウラの関係のように表現されたりしがちなんですけどね。

これは全然違うんです。
「あなたを一瞬で空に誘います。」
みたいな誘い文句を何かで見たことがありますが、
あなたはすでに空にあります。
同様にあなたは既に真我なんです。

よくねー。
色とは喧騒のようなものをさし、空とは静寂である。
みたいな表現もあったりしますが、
喧騒と静寂は、二極一対ですが、
色と空は、二極一対じゃないんです。

同様に、
自我と真我も二極一対じゃありません。
対の関係じゃないんですよね。

エゴっていう言葉があるじゃないですか。
エゴイストとかね。

このエゴというのは日本語訳で自我ということになるわけですが、
エゴイストとエゴというのはちょっと意味が違うんですよね。

エゴイストというのは利己主義ということであり、エゴは単なる自己という認識作用を指します。

ですが、時にこのエゴ(自我)とエゴイスト(利己主義)が混同されちゃって、
自我と真我の話になると、

エゴイスト(利己主義)のような感じが自我で、

真我とは世のため人のためって感じの利他の精神に富んでいて、
博愛っぽく愛に満ちていて、穏やか〜な感じ。
といったような勘違いがあったりしますが、
そういうことではありません。

喧騒も静寂もどちらも色ですし、
エゴイストだろうが博愛主義だろうがどちらも自我なんです。

空や真我というものがあるわけではありません。
なんでもないものが在るんです。

なんでもないがゆえにそれは全てなんです。
そして、分離がないから愛なんです。

なんでもないものを分離させること。それが色であり、
分離させたことによって生じるもの。それが自我なんです。

 

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