Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

覚悟の意味

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はーい。

おはようございます。
タクさんです。

ブログコメント欄を復活させましたので、
よかったら一言かいてくださいねー。

さて、今日は覚悟ということについて書いてみたいと思います。

覚悟ってねぇ。
「お前にその覚悟があるのかぁぁぁーーー!」
みたいなセリフもあったりもするわけでして、
印象としては
相当ハードルが高いイメージがありますよねぇ。

覚悟もなしにそんなことして!
みたいにね。
怒られそうな気もしますし。
覚悟しちゃうと、なんか、
「気が向かないから、やっぱやめるぅぅぅ。」
とか言いにくくなっちゃう。
みたいなね。

こういう場合に使われる覚悟っていうのは、
いわゆる心の準備ということなんだと思います。

でもねぇ。
心の準備ってできるもんなん??
そしてそもそも、その準備必要なん???
ってことなんですけどねー。

「失敗してもええやーん。」
ってね。
失敗を許してあげて、覚悟がどうこうとか言う前に
さっさとやりたいことやりゃいいわけなんですけどね。

まあそんなことで、
覚悟って、
「心の準備!」や、「ちゃんとしろよっ!」みたいなニュアンスで使われてる場合が多いんですが、
今日はちょっと別の意味の覚悟について書いてみたいと思います。

 

覚悟ってね。
なんか力が入って神妙な顔をして、、、。

ちょっと脅迫的なイメージがありますよね。

頑張って、覚悟を持って現状を受け入れようとする!
みたいなねー。

でもね。
覚悟の本来の意味はそんなリキまなきゃならないようなものじゃなく、
それよりも、ファッと力が抜ける事なんです。
それが覚悟なんです。

そもそも覚悟とは仏教用語で「目覚め」や「悟り」を意味しております。
目覚めとは、思考イメージからの目覚めを意味しております。
そして、思考イメージの中には、脅迫的なものももちろん、「分離」「時間」といった概念も含まれております。
そして、悟りとは迷いがないことを意味しております。

思い込みというイメージの世界から目覚めて迷いがなくなる。
という意味ですね。

この「迷いがなくなること」が意訳されて、
心の準備のような捉え方で使われてる、というわけですねー。

迷いがなくなるというのは、頑張って受け入れるというよりは、
受け入れるようなものはなかったことの発見です。
そしてそれは、人生という戦いの終焉なんです。

思い通りにならない事。不平や不安。
それらが、そのまーんま、ここにあってよかったんだー。
ってねー。
それにありのままに向き合えたとき、
これらとの戦いは存在しないことに気づくんです。

ここで言うありのままというのはね、
不平や不安が解釈上のものだという発見なんです。
そして、この解釈というのは、真実ではないという発見でもあるんです。

そもそもこの戦いは、自作自演のようなものでしかなかったことの発見なんですねー。

そして、戦いの存在のなさというのを見抜くと、
もうここに迷いはありません。

迷いというのは、選択の余地が必要なわけですが、
選択をさせるような二つの道というのがそもそも存在してませんのでね。

迷う材料がないわけです。

ただし、迷いがない自分になるというのとはちょっと違います。

だいたい、自分という表現の中には、選択をして、何かを決めて、管理運営するもの。
といったような意味が込められていますのでね〜。

これらは単なる働きなんですが、それを自分がやっていると解釈しているんですよね。
これもまた、解釈の一部なんです。

もちろん思考としての選択は起こります。
思考が消え失せて現れなくなるということではありません。
どんなことだって起こるんです。

だから、
「えぇ〜。カフェラテ、ホットかアイスかどっちにしよぉ〜」
ってな思いはちゃんと起こります。

つまりは、今までとなーんにも変わらんわけですが、
変わる必要すらないことが見抜かれるんです。

なので、色付けされた世界は消えることはないわけですが、
ちゃーんと、色付けされてるよねーということが見抜かれているという話なんですよねん。

そして、この色付けの中に、
自分や時間。分離という観念も含まれている。
ということなんです。

分離は色付けの大前提になりますのでね。
本来は分離というのは存在していません。

なので、起こるも起こらないもないわけで、
あるもないもないんですけどねー。

なので、見抜くも見抜かないもなく、元々そうじゃーん!!
ってなことになるんですけどねー。

なので、「すべきことは何もない。」
みたいな言葉もあったりするわけですが、
これを思考イメージのまな板の上に持ってくると、
これまた混乱しちゃう原因となっているというわけです。

思考ちゃんの働きはね〜。
必ず分離をさせないと働かないですし、
分離には条件が必要なわけです。
そして分離をさせた上で選択をするという働きなんです。

だから、「すべきことは何もない。」
ということも条件として受け止めちゃうんですよね。
でも、それだとどう分離させたらいいかわからないから
どうしたらいいんだ??と混乱するわけなんです〜。

この混乱を放置プレーしてみると、
選択へのこだわりが行き場を失い、落ちていきます。
これが落ちる時、思考のエネルギーが緩むんです。
この緩みがリラックスなんですね。

そのリラックスに在ってみることによって、
ああ、このリラックスがデフォだったんだなーということが
見抜かれるんです。

 

※タクさんのプライベートトークセッション。
受付中でございます。

takuteto.hatenablog.com