Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

真実を見失う瞬間

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おはようございます。
タクさんです。

みなさん、料理ってされてますでしょうか?

僕はねー。
ものすごーく料理が下手くそで、
まあ、ほとんどしません。

食べやすい大きさに切って〜。
しょっぱくしたけりゃ塩入れて〜。
辛くしたけりゃ、とうがらし〜。

って感じの理解だったので、
クッソ下手くそです。

旨味。というものを全く理解しておらんかったんですよねー。

料理が上手な人って、この旨味への造詣が深いんだろうなぁ。
って思っております。

もちろん、食材の切り方、火の使い方、盛り付け方って
他にもすんごくいっぱいあるんでしょうけど、
まー、料理上手の人って、賢い人なんやろなぁ〜。
って思います。

ーー

さてさて、
料理を作るってね。
言いますけど、
これって、何にもないところから、
ポンッ!
って何かを生み出してるわけじゃないですよね。

料理に限らず、ありとあらゆるモノづくりにも言えますけど、
なにかをゼロから生み出しているというものって無いと思うんです。

料理については、食材を変化させてるわけですもんね。
混ぜたり切ったり、焼いたりしてねー。

家を建てる。
っていうのも一緒ですよね。
木やコンクリを変化させてるわけでして、
なにかをゼロから生み出しているわけじゃありません。

僕らはいろんなものを作ってるように見えて、
元々あるのもの形を見かけ上で変えているだけあって
ゼロから何かがポンと生み出されているわけじゃないんです。

誕生と死というのも同様で、
僕らはゼロからポンって生まれたわけじゃなく、
単に変化をしているだけなんです。

レゴってあるじゃないですか。
あれで何かを作ってるのと同じような感じですよね。

レゴの家でもレゴの人でもレゴの動物でも、
何にもないところからポンと生まれたわけじゃなく、
レゴの組み合わせを変えているだけで、実際のレゴのパーツが
ゼロから急に生まれるわけでもなく、またこのパーツが減ることもない。
っていうねー。

このレゴのパーツに相当するもの。
つまり僕らを形作っているものっていうのはね。
ある種のエネルギーなんです。

エネルギーってなんやねん?
ってなるかもしれませんけど、これはなんて言うか、「働き」なんですよね。

全てはこの働きに満ちているんです。

このエネルギーもまた減るわけでもなく、増えるものでもありません。
僕らはこの増えもせず減りもしないエネルギーそのものなんです。

そして、このエネルギーこそ、イノチそのものなんです。

僕らはこの働き。
つまりは流動しているイノチ。
エネルギーをね。

固定化して掴み取ることに躍起になっとるんです。

僕らって、何かを理解するためには、止まったものじゃ無いとダメなんです。
人が動いている様子を絵にできないのに似ていて、
常に変化することを理解としてつかみとれないんです。

起こっていて、起こってない。
あるとも言えるし無いとも言える。

これこそがエネルギーを表す表現になるわけですが、

んなこと言われると、
「なんじゃそりゃーー!!!」
ってなりますもんね。

だから、何かを掴み取るには、固定化して概念化します。
固定化するには分離をさせる必要もありますので、
固定化し、分離し、整理して、概念化すると言う感じですね。

そうやって、理解をするわけですが、常に働いているエネルギーの
なんていうかイノチって感じの躍動は、概念化された時点で見失われるんですよねー。

分離された時点で、増えたり減ったり、といった感覚も生まれたりしますのでね。

これが、「それ」そのものが見失われる原因となっており、
足りないと言う不足感が生じる根っことなっているんです。

 

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