Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

未知の受け入れと既知の手放し。

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うーん。なんだかうまく行かないなぁ。。。
ってなことって、
まあ、生きてりゃよくあることですよねー。

そんな時、どうしたらうまくいくんだろう?
ってね。
考え出したりするわけですが、
まあ、そうやって、新たな方策を考え出すことも含めて、
もう、うまくいってるんですよね。

ぼくらはずっとおんなじことを続けられるわけではありません。
全ては変化する。

これがもう諸行無常という真実です。

ハッピーターンの粉の味も、
同じにみえて、毎年少しずつ味が変わってるんですもんねー。

そして、この変化こそが喜びなんです。

僕らが誕生を喜ぶとき、
それは、常に起こっている変化を喜んでいるんです。
そしてこの変化こそがイノチの息吹なんです。

 

僕らは、わからないことに対して、恐怖を感じます。
なので、なんでもわかったことにしようとするんですね。

そして、今度は、このわかったことに対して嘆くんです。

「なんでこんなことになってしもてるんやぁぁぁーーー!!!」

ゆーてねー。

僕らは変化という真実の中、
わかろうと掴むものはすべて固定化して掴みます。

そして、固定化して掴んだ状況というのはね。
固定化されてるもんですから、ずっとこのままの状態が続く。
といったようなねー。

なんかそんな勘違いをしちゃうんですよね。

「うまくいってたはずなのに、うまく行かなくなった。
これはおかしい。。。」

って感じたりするのも、この勘違いが原因だったりします。

はたまた、
「こんな最悪な私はきっとずっと最悪なままなんだわぁぁぁー!!!」

ってね。
叫びたくなるのもまた、この勘違いが原因なんです。

全ては未知です。
そして未知というのは、まさしく無限の可能性だけがポテンシャルとして控えている。
という感じなんですね。

つまりは、すべては奇跡。ミラクル!
ということでもあります。
なんせ無限の可能性ですからねー。

この未知にワクワクできる時、僕らはこの命の息吹のエネルギーと同化し溶け込み。
本来のイノチそのものになります。

でも、
この未知を恐れる時、
本来、同化している「変化というイノチそのもの」を拒むんです。
そして、枠に閉じ込めて、この枠に閉じ込めることで安心を得ようと試みるんです。

ですが、実際には存在し得ないこの枠は、いつまでたっても見つかりません。

真実という答えというのは「枠」ではなく、未知そのものですのでねー。

真実は未知。
つまり、本当のことはワカラン!ということ。
わかったことが全て勘違い。もしくはイメージ上の思い込みでしかないということですからねー。

でも、この「真実=ワカラン」というパラドックスが僕らを混乱させ、
真実の「枠」の探求にハマらせるんです。

「未知」を恐れる必要はありません。
こいつは怖いものでもなんでもありません。
「未知」とはある種、当たり前のことなんです。

だから、この「未知」にワクワクしながら乗っかればイイんですよねー。

それが「未知」の受け入れなんです。

「未知」を受け入れる時、僕らは「既知」という枠を手放すんです。

 

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