Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

受け入れるということと、テヘペロメソッド。

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はい。
おはようございます。

タクさんです。

ふと今に落ち着いた時、
感じることがあります。

それは、
ちょっとしたことでも、考えるということは、
体や頭にどれほどのエネルギーを使ってたんだ!

ということです。

ふと今にある時、
緊張していた、頭や体がほどけていきます。

そして、そのうち、
その感覚は空間に溶け出していくんです。

溶け出している中、自我ちゃんはこの退屈さに少々苛立ったりもします。
そしてその苛立ちもまた、空間に溶け出すんです。

空間に溶け出すという表現もまた、
自我ちゃん方面から見た方便であって、
もともとは一体だったものに戻るということなんですけどねー。

僕らは、何かを解き明かす必要もなかったんです。
そして、解き明かされるような秘密も存在してなかったんですよねー。

つまり、悟りという秘密の何かはなかったわけです。

ただ、問題がある。そして悟りという問題解決の鍵がある。
こんな思考が起こり、そしてこの思考が体や頭にエネルギーを強いていて、
そして、体や頭の緊張感は思考を生み出していたというだけなんですねー。

 

まあ、そういうわけですので、
ありのままにあれば良いわけですが、
ありのままというのは、目の前の現実は、思考によって色付けされているということを知るということですので、
その辺を観察するためのテクニックが、座禅だったり瞑想だったりするというわけなんです。

でね。
この座禅や瞑想というのも、なかなかうまくできない場合に、
流派によって、瞑想をうまくするためのメソッドがあるというわけです。

でも、ついついこのメソッドを極めることに躍起になっちゃったりするのも
これまた人間のサガだったりするわけなんですけどねー。

ま、それはそれで、楽しく遊べば良いんです

思考に巻き込まれるなら、それでオッケー!
ついつい落ち込んじゃうならそれもカワイイんです。

なにやら人生を棒に振ってしまったような気になったとしても、
それもまた錯覚なんですが、
この錯覚もまた、
そのことを許してあげたときに、

「あ!許す以前にゆるされてたのかー!」ってね気づくんですよねー。

なので、何か失敗したと思っても、

まずは、
「てへっ!」
と、舌をペロッとでもしながら言ってあげれば良いんです。

自分では抱えきれないという問題は、
自分では抱え込まなきゃ良いんです。

そんなありのままの許しに慣れてくると、
そのうち、許す必要すら失われてきます。

「誰が何を許すっていうのか!」

ってなるんですよね。

このときに、何もする必要すらなかったことに気づくわけです。

だから何もしないのが正解というわけでもないわけなんですけどね。
何もすることがないのなら何をしたらいいのか?と悩んじゃったりもするわけですが、

まずは「てへ!」っとしてペロッってしてたらいいんですよね。

そして、そうすることを許してあげたらいいんです。

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