委ねるというのは、一切の行為が起こらないということじゃありません。
何もしないというのは、コントロールをしようとしないということですので、
実際に動かずにじっとしてるということじゃないんですよね。
僕らは、意識をせずとも、
呼吸をし、
身体に血を巡らせ、
あくびをしたくなったら、勝手にあくびが起こり、
まばたきをして、
鼻がムズムズしてきたらくしゃみをします。
あくびをしたいのに、無理やりそれを押さえ込んだり、
呼吸を一生懸命止めてみたり、
瞬きをしないように頑張ってみると、
その瞬間は自分でコントロールできた気にはなりますが、
結局、それができた気になっているのは、
わしが今、まばたきをコントロールしてるんやでー!という思いが起こっている間だけ、そうなってるように見えるだけなんです。
そうすることによって無理なエネルギーを消費したりしてるんですよね。
これは、思考や感情にたいしてもおなじで、
湧き上がる思いをなんとかコントロールしようと頑張って、
それを制御できているように見えたりもするわけですが、
それをしている無理なエネルギーによって、
疲れてたり、苦を生じさせたりしているわけです。
そして、この疲れを解消するには何をコントロールしたらいいんだろう??
って、その材料を捜し求めたりもするわけなんですが、
そもそも、コントロールによって苦が生じているわけですので、
苦の解消の方法論を探し求めて、新しいコントロール方法を身につけようとしたところで、それは余計にこじらせるだけなんですよねん。
なので、委ねてあげればいいんです。
あくびが出るなら出させてあげるのと同じように、
起こってくる思考や感情があるなら、
単にそれが起こってるだけなんやなーってね。
これをあれこれ干渉したり、分析したり、
止めようとしたり、変えようとしてみたり。
そんなことをしなくてもいいんですよね。
これが、何もしないということなんです。
つまり、じっとしているということじゃなく、行動が起こってくるならそれに委ねてあげればいいんですよね。
僕らが何かをコントロールしたがっている場合は、
その奥には許せないという思いが隠れていたりします。
この許せないという思いが、自分を責めてたんですよね。
委ねてあげることというのは、そんな自分を許してあげるということでもあるんです。
自分を許すことによって、自分は許されます。
これは、生き生きとした自分を自由の中にはなってあげることなんです。
コントロールしなければならないという思いが、自分を縛り、
そして、縛られた自分の苦しみを自分が感じていたんですよね。
何人もあなたを裁くことはできません。
神ですらあなたを裁くことはできません。
ですが、あなたがあなた自身を裁く時、その苦を自身が受け取っちゃうんです。
単にそのまんまにしておいてあげますと、
裁きの必要性が一切ないことが、見抜かれて行きますのでねー。
自分が自分によって許されていくんです。
ああ、もともと許されてたんだー!ということを知ることで、
思いは自然に起こり、アナタらしいストーリーが展開されていくんです。
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