Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

なーんにもしなくて良いって言われても。。。

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おはようございます。
タクさんです。

一番良くきかれる質問の一つにね。
話はわかったんだけど、で、どうすりゃいいの??

という質問なんですよねー。

素直に答えちゃうと、
何もすることはないですよー。
ってなっちゃうんですけどね。

でもそれだと、やっぱり何も変わらないじゃん。
って思っちゃうのも、これまた人情でございます。

というわけで、今日は何をしたら良いのかー?
みたいなことについて書いてみたいと思います。

 

とはいっても、
色々とあるんですけどね。

大事なのは、あるがままに観ることなんです。
あるがままに観るというのは、個別の判断を採用しないということでもあるんですよね。

それよりは、どのように思考が現れ、どのように判断されているのか?
その過程に私って本当にいるのか?
ということを確かめてみるってかんじなんです。

僕らは現れてくる思考をコントロールしていませんよね。
勝手に現れてくると思います。

そして、現れて来た思考に対して、ジャッジしたり、選択をしているのは私だ!
といったような思いもあるかもしれませんが、
じつは、どう選択されるのか?
ということもよくよく観察してみると、誰も選択なんてしていないっていう様子がみて取れると思うんです。

この観るというときに、大事なのが、単に観るだけということです。
ノー判断で観る。っていう感じです。

トイレ行きたいなぁ〜。
でも、めんどくさいなぁ〜。
ってなってる時は、若干めんどくさいが勝ってたりして、、、。
しばらくすると、
あかん、ほんまに行きたい。という思いの勢いが強くなって来たりして、、、。
そのうち、その思いが大勢を占めるようになった時、体がトイレに向かって歩き出す。。。

みたいなね。

そこに、何かを選択している「私」はいないんです。

結局のところ、何もしなくても良いというのは、どういうことなのか?
というのを確かめるために、まずは観てみる。
ということなんですよね。

あ、
あと、自分を愛でてあげるというのも、良く書いてますが、
否定的な思考が湧いている時っていうのは、
足りない私という幻想を演出されている時に起こります。

この演出が背景にあると、うまく観るということができませんのでね。
準備運動として、ちゃんと私を愛でてあげることがいいんですよね。

本来は、愛と祝福と至福。そしてミラクル!
これが、世界の実相です。

完全な未知、そして分離のなさ。
楽観性と心配のなさ。

それが実相なんです。

そうじゃないように感じるのは、心の中で、そうじゃないという演出がなされているからなんです。

まあ、そういうわけですので、
あー、本当に何もすることなんてないんだ!ということを確かめるために、
まずは観てみる。
そして、誰も、何も選択してないし、ジャッジすらしていない。
ということを確かめて観たらいいんですよねー。

「私はいない」という言葉はあまり気にしなくてもいいかもしれません。

よくよく確かめてみると、この「私」という思いも、思考の一つとして現れているに過ぎないことが見て取れます。
その「私」という思考の中に、コントロールしている私という考えが単に起こっているだけなんですよね。

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