Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ネガティヴ感覚

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おはようございます。
正義の味方でも悪の味方でもない。
タクさんです。

みなさんは正義派ですか?
それとも悪派でしょうか?

ま、正義と悪って、結局どっちからみたとしても、
自分が正義だったりするんでしょうけどねー。

まあ、しかし正義感っていうのは、時に厄介なものでしてねー。
正義感というものに囚われちゃうと、どうしても偏狭になっちゃったりするんですよね。

正義感というのはそういうもんなんです。
字面では「正義」って書くので、なんか良いことのように感じちゃったりするもんですが、
正義の名の下にえらいことが繰り返されてきてますからねー。

自分の中に、「正義」が芽生えてたりする場合は、ちょっと落ち着いたほうがいいかもしれませんね。

きっと、悪い思いにとらわれるよりも、正義な思いにとらわれる方が厄介な気がします。

ちなみに、漫画とかだと、悪がわのキャラの方が魅力的だったりしますもんねぇ。

そういえば、僕子供の頃に見たカンフー映画で、
ドラゴン太極拳
という印象に残ってる映画があったんです。
最近思い出して改めて観てみたんですけど、
この映画、悪者とされているものすごく強いキャラがいるんですけど、
この悪者は、常に武器を持たず正々堂々と戦うのに対して、正義の味方側のキャラ達は、
なんとかこの強い悪と立ち向かうために、剣はもちろん、その他、飛び道具使ったり、複数人で襲ったりと、
結構めちゃくちゃな勝ち方をしてて、斬新だなーって思いました。

ちょっと話はズレちゃいましたが、
本来、何が正しい、何が間違いというものはありません。
そういった思いが偏りすぎている場合は、強い思いを掴み取っているということになります。
強い掴み取りは、強く自身を架空の枠の中に閉じ込めちゃうことにもなりますので、
窮屈さが知らないうちにストレスとなったりもするもんですしねー。

 

というわけで、今日はネガティブ思考のお話です。

ネガティヴ思考っていうのも、本当は悪いものじゃないんですよね。

不安にしろ、怒りにしろ、悲しみだって悪者じゃありません。

こういったネガティブな思考が起こること。
それこそが自我ちゃんの仕事なんですから、
もうグッジョブなんですよ。

そして、この感覚を味わえるということこそが、もう芳醇な味わいそのものでもあるんです。

ただ、思考ちゃんは、ネガティブなものに対しては対応しておかなきゃならない!
みたいなねー。
妙な正義感をもってたりします。

で、対応できるならそこに問題は一切ないんですが、
対応できないと、思考ちゃんはそれを問題視するんですよね。

実は、僕らが苦と感じているのは、
ネガティブな感情ではなく、
思考ちゃんの中にある問題視が苦を感じさせてるんです。

信じられないかもしれませんが、
不安でふつふつとする思いの元にある感覚と、
ワクワクする思いの元にある感覚って、
似たようなものなんですよね。

たとえば、よっしゃやるぞーっていう武者震いと、
不安による緊張状態っていうのは、感覚としては同じ様なものだったりするんです。
どちらも、体にエネルギーを供給する働きなんです。

そしてどちらも、このエネルギーは喜びの表現、愛の表現だったりします。
そしてどちらも、カワイイんですよね。

そんな表現を、思考のレンズを通した瞬間、
手に負えないような、それでいてなんとかしなきゃならない感覚に
錯覚を使って変換されてたりするんです。

こうなると、思考ちゃんは、なんとかこのネガティブ感覚を抑え込もうとするんですよねー。
で、抑え込みがうまくいかない時、僕らは悩むんです。

まず、思考は置いておいて、感覚を感じてみるというのは、
思考に色付けされた感覚をみちゃうと、どうしてもとんでもないものに見えちゃいますので、
単に体に感じている感覚。それのみを感じてみるって感じなんですよねん。

すると、ちょっとした胸を締め付ける感じを感じるかもしれませんが、
これって、足の小指をぶつけるのに比べると、全然大したことなくない???
ってなことにも気づいてくるかもしれません。

また、この感覚こそが生きてるからこその表現なんだなー。
みたいにみえてくるとしめたもんです。

「あ、苦を苦としてるのって、思考のイメージの中だけの、
ストーリー上の話に過ぎなかったんか。」
ってなことも明らかになってきてくれますのでねー。

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