Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

囚われからの抜け出し方

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僕らって、退屈になると、ついつい、何か考えておこうとしちゃうんですよね。

そして、「じゃあ何を考えておこうか?」
という時は、やっぱり、一番興味が湧くことを考えておこうとします。
興味があることは人それぞれかもしれませんが、ある程度共通するのが、
「自分の行く末について。」
というテーマだったりするんですよねー。
自分はこのままで大丈夫なのか?
ってね、
でまぁ、当然の事ながら、この先大丈夫である。
なんて根拠は、あるはずが無いので、
えええ!!ダメじゃーんっ!
ってなるんです。
まあ、そんなこんなでアレコレと心配したり不安になったりするわけです。

いっこ心配ごとが見つかると、僕らの思考はご丁寧に、この心配について、しっかりとした辻褄合わせに奔走してくれます。
するともう、この心配事は、よりリアルに仕上がっていくんですよねん。

心配事だけでなく、あらゆる不安感、不足感も、そうやって心の中心に、でーんと居座ると、思考も、その心配事や、不安や不足を中心に展開され始めます。

こうなると、
心配事はどうしたら解決されるのか?
不安は、どう解消していけばいいのか?
この不足はどう埋めればいいのか?
と言った考えに支配されちゃうんです。

これがいわゆる囚われなんですが、
そうか!これが囚われなのか!
ではどうしたらこの囚われから抜け出せるのか?
ってなるわけです。

 

というわけで、抜け出し方について進めていきますね。

抜け出すには、正確に囚われとはなんなのか?
を確かめて見る必要があるんですよねー。

確かめるというのは、しっかりと観るということですねん。

答えを先に言っちゃうと、本当は囚われてなんかいないということを観てあげる必要があるわけです。

それにはまずどうすれば良いのか?
と言いますと、
抜け出そうとせずに、このままとどまってみるということなんです。

不安や不足や心配。
それらをそのまんまにしておいてみるんです。

でね。
今、聞こえてくる車の音や、たちのぼる香り。
椅子に座っているなら、その感触。
吹いている風。

これらの今起こっていることにも、目を向けてみてあげるんです。

でね。
思考で感じている、心配や不安や不足感。
その思考から感じる、心を締め付けるような感触。

これらの感触と、単に起こっているどうということのない外の車の音など。

これらの差を取ってみるんです。

意識がフォーカスされている差をとる。
意識のえこひいきをやめてみる。という感じです。

自分に直接的に起こっているっ!と思っていた心配事などの思考や、そこで感じる体の感触と、単に聞こえてくる意味のない音。
これらに、実際には差はありません。
そんな差のなさを、確かめてみてほしいんです。

そして、今にリラックスしてみるんです。

リラックスとは、起こっているあらゆることの中から、
何かを特別にピックアップしないでいるということです。

すると、心配事や不安に対する苦は、
心配や不安を起点にした思考の中にしかなかったということに気づいてくるかもです。

そして、心配や不安を起点にした思考は、
「それをなんとかしなきゃならぬっ!」
という信念から起こっていたんですねー。

そういうことも、確かめてみると良いかもしれません。

するとね。

なんとかしなきゃならないと思いが、心配や不安や不足を増幅させていて、
実際は、単なる車の音と同列の思いと、差をつけていたというカラクリがあらわになってきてくれるんです。

あー。
ホントにどうにかしなくてもよかったんだー!
ということに気づくんですよねー。

それがね。
最初っから許されてたのかー!
ということに気づく入り口なんです。

 

※31日の残りひと枠空いています。よろしかったらどうぞー♪

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