Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

メンタルは鍛えられまへんで

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はい。
おっはようございやす!


タクさんでございやすよ!


みなさん。ご機嫌いかがでやすか???



ちょっと変な出だしで始まっちゃったのは、

多分、僕がちょっと疲れてるからなんだと思います。


ま、お気になさらず行きましょう。



さてさて、

メンタルを鍛える!

メンタルタフネス!!!
動じない心!!!



みたいなねー。


そんなの、憧れちゃいますよね。


なので、心を鍛えましょう!

なんていうコンテンツも色々とあったりするんですけどね。


でも、心やメンタルって鍛えることって出来ないんですよね。
心に筋肉があるわけでもないですからねぇ。


そもそも、心というもの自体の何かがあるわけじゃなく、

これは、感情だったり、感覚だったり、思考だったりを
総称してそう呼んでいるものでございます。


自我ちゃんと同じです。



そして、心というものは、反応なんです。

何かに対して起こる反応ですので、
心を鍛えるというよりは、
反応の仕組みを理解して、
反応の起こり方を変えて行きましょうねー。

っていうのが、
心を鍛えるというコンテンツで語られていることなんですよねー。

 

まあでも、
そもそもの話なんですけどね。


心というものは、自我ちゃんそのものでもあります。


つまり、僕らがやけに心にこだわるのは、心を自分だとしているからなんですよね。


反応でしかないなら、別にええやん!
って話なんですよね。



どんな反応も美しいじゃんっ!

ってことなんです。



だから、反応にあれこれとこだわると、
余計に反応に過敏になっちゃったりするわけで、

過敏になればなるほど、
反応に対する、良い悪いの判断に巻き込まれちゃったりもするわけです。



だから、反応を自分として扱うことで、
ボタンのかけ違いが起こってることになるんですよねーん。


反応は、反応。
以上!


これが、正直なものの見方。
つまりは「ありのまま」とも言えるわけです。



ま、とは言っても、せっかくなんでちょっとだけ
この反応の仕組みについても書いてみます。



心というのは、何で出来ているのか?と言いますと、


ブルーハーツの情熱の薔薇という歌にもありますように、

「みてきたことや聞いたこと、今まで覚えた全部」


これで、できておるわけです。



だからね。

心をいい感じにするには、良いことをどんどん聞かせてやれば良いんです。



前向きなこと。
素敵なこと。
勇気が出る言葉。


それらをじゃんじゃん与えてあげれば、
心はそれで満たされていきます。



また、思考とはどういうものかと言いますと、

分離の概念を元に、
整理整頓をして、つじつま合わせをする。

という働きです。



「アーーーダメだーーー!!!」


という言葉を耳にしますと、
耳にしたそのことについて、つじつまを合わせようとするのが、思考の働きなんです。

また、思考はつじつま合わせをする際、記憶をつかってつじつま合わせをしようとするわけですが、気分が悪い時、落ち込んでいるときは、それに沿ったパーツを探し出してきて記憶のストーリーを作り上げます。

逆に、気分がいいときは、その気分に沿ったパーツを探し出してきます。

心当たりありませんか?
同じ記憶のストーリーを思い出しているのに、それが重苦しいときと、そうでもないとき。はたまた、いい思い出となっているとき。
これらも今の気分が作っているんですよね。

まあ、そういう働きをするのが思考の一つの役割であるということです。

だから、いい言葉を使いましょうね〜。いい言葉を聞きましょうね〜。
そして、いい気分でいましょうね〜。
と言われているわけなんです。

また、
他にも心の反応は実にたくさんあるんですが、その一つに身体の微細な感覚や信号
を感じ取るというものもあります。

この信号を感じ取る感覚が鋭い人は、感度が高いのになぜかメンタルが弱いと判断されたり、この感覚が鈍感な人がメンタルが強いと判断されたりする場合があります。

この信号もホントいろんな現れ方をしてくるわけでして、この信号がストーリーと絡んで現れてきたりすると、ややこしい解釈へと進んでいったりすることもあったりするんですが、では無視すればいいかというと、そうでもなくて、
「あんた、疲れとるで〜」という信号を無視し続けていると、信号はどんどん強くなったりするわけです。

「ドンドンドンッあんたっ!!!!疲れてるでっ!!!休まなあかんでっ!!!!」

ってな具合にね。

それでも無視してたら、ちゃんと病気となって、休ませてくれるようになっています。

なので、信号の奥にある感覚。自分の声。
これになるべく早めにちゃんと耳を傾けてあげると良いんですよね。

この信号は、
身体のサインである場合もありますが、自分のワクワク、オモロイ!をどこかで抑え込んでいる場合にも現れたりします。

自分らしさ(ワクワクやオモロイ)を抑え込んでいると、体の不調を使って警告しようとしてきたりするんですよね。

だから、やっぱり、
自分は何が好きなんだろう?
何が楽しいんだろう?ということを抑え込んじゃうと、
何かしらの不調として現れてくるっぽいんです。

とまあ、
いろいろと書きましたが、ポジティブな言葉もこれまた自分の声をかき消し、
さらには、自分をいじめることにもなっちゃったりもするもんです。

となると、じゃあどないすれば良いのん?
って事になってくるわけですが、
やっぱここは、
しっかりと自分を愛でてあげること。
正直な自分の声に耳を傾けてあげること。
これになってくるんじゃないかと思うんです。

自分を責める思考がぐるぐるしていると、その言葉を一番身近で聞いているのも自分ですので、自分で自分に鞭打つことにもなりますからねぇ。

そんなん、アホらしいですもんね。

そして、ちゃんと自分を愛でてあげられたとき、僕らは反応に使われるものから、反応を使うものになれるんです。

 

 

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