はーい。
おはようございます。
タクさんです。
僕らが持っている防御本能は「わからない」ことを恐れます。
だから、どうしてもわかろうとしちゃうわけですね〜。
でも、一寸先は闇ですのでね。
「わからない」のはもうデフォなんです。
闇というのは、ちょっと言葉のイメージは怖い雰囲気があるかもしれませんが、
わからんということですからね。
一寸先は光って言っても良いし、
一寸先は真っ白!って言っても良いと思います。
つまり、わからんし、起こることは良いも悪いもどっちでもないというわけです。
ただ、この「わからない」を恐れるあまり、
例えば、ブラック企業なんかに勤めてたり、
暴力パートナーがいたりしても、逃げたいのに逃げられない。
とりあえず、今は大丈夫だからとどまろう。なんて思考も起こっちゃったりしてね。
さっさと逃げることができなくなる。
我慢しなくても良いのに、とりあえず、我慢しちゃう。
なんて困ったこともあったりするんですよね。
そういう場合は、もう勢いに任せて逃げちゃってくださいね。
まあ、恐れはデフォ♪ですので、
この恐れをなんとかしようと、調べに調べ尽くしても、
100%の安心は得られません。
だから、わかんないを遊んじゃうしか無いわけですねー。
わかんないものに対する恐れは、
実際に起こってる危機とはちがいます。
怪物が襲いかかってきている恐れとはちがうんです。
なのに、同じ恐れとして感じてしまうという錯覚が起こっておるんですよね〜。
さてさて、
恐れの話は置いといて、、、。
オモテとウラは一緒だし、一個だよん。
という話を今日は書いてみたいと思います。
光を認識するためには、影が必要になります。
影がないと僕らは光を目にすることはできませんからね〜。
白には黒が必要になり、
男らしさは女らしさがあってこそ成り立ち、
朝は夜がないとやって来ません。
「私」には「あなた」が必要ですし、
悟りには悟っていないが必要ですし、
天才は凡人がいないと成り立たず、
かしこはアホがいないと存在できません。
表は裏があって初めて表になれますし、
主体は客体があって初めて現れます。
僕らは、なんでもないものを掴み取るとき、
そうやって概念上で分離を作った上でしか掴み取れないんですよねん♪
実は実際に、光と影があるわけじゃなく、
かしことアホがあるわけでもなく、
朝と夜が分かたれているわけでもなければ、
「私」と「あなた」がいるわけでもありません。
これらは全て、概念上でそうしているだけなんです。
そしていつしか僕らは、概念上のイメージを現実として認識するようになったわけです。
そして、このイメージにフォーカスしている間だけ、「なんでもないもの」を見逃しているんですよねー。
オモテとウラが、一個だということ。
どちらかがないと成り立たないということは、
無理くり概念上で分割して捉えているに過ぎないということ。
このことを思い出すと、概念に振り回されてた様子が浮き彫りになるんです。