はい。
おはようございます。
タクさんです。
このブログでは、心の話を書いている場合と、
「それ」のこと。いわゆる非二元のことを書いている場合と、
ハイブリッドパターンの記事になっている時があるわけですが、
心と非二元というのは、同じようなことに見えて、全然違う話でもあったりするんですよねー。
なので、時に混乱しちゃうかもしれません。
よくわからんかったなーと思ったなら、それは思いっきりスルーしちゃってもらって良いと思います。
そして、何か自分の中で、ファッと心が緩む感覚があったのなら、その緩みに身を任せてみてもらえれば良いかなー。
なんて思います。
非二元的な表現で言うと、「心」の状態というのは、あるように見えているだけで、実際はないので、あまりその心の状態についてはこだわりがありません。
そして、ある意味こだわりがなくなれば、心の中の苦しい状態への解決方法になったりもするわけですが、
この解決は、心目線でいうと、
「一切解決されてないやん!」
ということにもなったりするわけです。
そして、「それ」に目覚めたとしても、心の働きは働きとして起こるわけでして、このことについても、心目線で見ると、
「何も変わらないんだったらダメじゃん!」
って見えてしまったりするんですよねー。
ただ、
「それ」への目覚めは、心の全貌を丸裸にしちゃいます。
それは、映画を観ている間に、
「これは映画だ!」
ということへの気づきに似ております。
そして、映画がどう展開しようと、スクリーンは一切変化してないってこと。
主人公である「自分」はこの映画の展開の中にしかいないことも明らかになるわけですねん。
僕らはこれらの映画を複数パターン展開させております。
しかもそれは、映像や音だけでなく、体の感覚や匂いまでを使って体験しておりますので、この体験中にこの体験に気づくのって難しかったりもするんです。
また、映画だと、映画以外の普段に現実というものがありますので、
「あ!映画やったんだ!」というのは認識しやすいっちゅうもんですが、
僕らの思考のイメージ体験は、この体験そのものが現実なわけですので、どこかに別の現実があるというわけじゃありません。
つまり、どういうことかというと、
僕らが現実だと思っているもの。
その現実こそが、幻想。つまりイメージの体験なんですよねん。
なので、何かに目覚めたら、別の真実のような現実が現れるというわけではないんですよね。
つまり、イメージ=現実。
だというわけでして、ぼくらは、イメージを現実と呼んでいて、それ以外の何処かに現実というものはないんですよね。
そして、真実とは、
「僕らは、イメージを現実視してたんやねー。」
ということを単に見抜くだけなんです。
そして、その見抜きは、「今」を究極的に楽観させてくれるんです。
この楽観さが至福なんです。
この見抜きへと誘うカギは、徹底的な許しです。
僕らが手放しにくい思考は、「許されない」ことが原因となっておりますのでねー。
そして、一番許せないのが、「自分がいない」というある種の自分放棄なんです。
「自分」がいてこそっ!
いてこそーっ!
っていう思いが、あらゆるストーリーを展開させておりますのでねー。
この自分の放棄は死を意味することのように感じられたりもします。
でも、それも、一応許してみると良いんです。
「自分というものがどこにもいない」ということを受け入れてみるんです。
だって、許してあげただけで、身体がドロドローって溶けてなくなるわけじゃないですからね。
そこに怖がる要素はないんです。
公共の場で、やらしいことを考えてみてもばれないですよね。
(あまりに変態的なことを考えて顔の表情が変わってたらやばいかもしれませんが。。。)
また、お葬式の場で、大笑いするようなことをこっそり考えてみたところで、
ちゃんと神妙な顔をつくっていたら大丈夫ですよね。
それといっしょで、
「自分がいない」を受け入れてみたところで、なんの被害もありません。
すると、
あ!ホントにおらんわ。。。
どこにもおらんわ!
ということに気付いちゃうかもです。
だって、どこにもいないですからね〜。
許してあげちゃうこと。それが諦めであり、降参なんです。
なにか、気になる思いも、とりあえず許してみると良いかもです。
「ま、いいか!」の精神です。
ま、いいか!と思えない思いを掴み取っている間だけ、
その思いが枠となって、その枠の中でストーリーが展開されます。
「ま、いいか!」なんて思えるわけ無いだろー!
という思いがどうしても起こっちゃうなら、
ま、そんな思いが起こっても、ま、いいか!と許してやったら良いと思います。
思いを掴み取ってしまったとしても、それで良いんです。
つまりは、どっちでもいいんです。
どうあっても、許されていますからねー。
あ、あと悟りも、非二元もそういう何かがあるわけではなく、イメージ上で表現するためにあてられた単なる記号のような言葉です。
実際にそんなものも、あるでもないでも無いじゃん♪。
ってなると、
かーっ!!!徹底的にどっちでもいいんかいっ!って自分で自分にツッコミを入れたくなったりするんですよねん。