Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

私が「私」だと思っていた「私」は、実は他人だったとしたら??

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おはようございます。
タクさんです。

さて、あなたは子供の時、どんな子供だったでしょうか?
活発な子?
それともおとなしく一つのことに集中力を発揮するタイプの子だったでしょうか?

多分、
今のあなたの性質も、子供の頃とは変わってないんじゃないでしょうか?
でも、もし、
最近のあなたが苦しいと感じているのなら、
それはもしかしたら、あなたは、もともと持っていた性質を
何かしらの力で押さえつけているからなのかもしれません。

アップルの創業者、スティーブ・ジョブズの言葉で、
こんな言葉があります。

あなたの時間は限られている。

だから他人の人生を生きたりして

無駄に過ごしてはいけない。

ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。

それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。

他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声を

かき消したりすることのないようにしなさい。

そして最も重要なのは、

自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。

それはどういうわけか

あなたが本当になりたいものを

すでによく知っているのだから。

それ以外のことは、

全部二の次の意味しかない。

ま、ジョブズさんは好き嫌いが分かれるところですが、人格についてのウワサは置いといて、
この言葉は、勇気を与えてくれますね!

 

もしかして、
あなたが、自分自身だと思っているもの。
「自分はこうあるべき」
「自分はこういうふうにみられたい」
といったようなもの。

それは、もしかしたら、
ドグマ(教義、常識、既存の理論)によるものだったりしないでしょうか?
もしかしたら、それは他人の考えた結果を自分にすり替えちゃったりしてないでしょうか?

もし、そうなんだとしたら、
あなた自身の本来の性質は、あなたが「自分」だと思っている他人(ドグマ)に押さえつけられ、
閉じ込められているかもしれません。

もっともらしい「大人としての常識」「社会人としての常識」
そして、「責任感」。

もしかしたらそれは、他人の声が、内面のあなたをかき消してしまっているかもしれません。

後付された、あらゆる思考や概念を、一旦ポイってしちゃいましょう。

そして、ぽいってした後に自分の中に残るあなた自身、子供の頃にあった生々しい感覚に再び光をあててあげるんです。
そして、そこから沸き上がるヒラメキに従ってみたら良いんです。

うん。とは言っても、いきなり思いっきり方向転換するのはものすごく怖いですよね。

その怖さは正常な反応です。
だから、僕は必ずしも一気に飛び込まなくてもいいと思います。

でも、ちょっとした呼び水をかけることくらいは簡単にできると思うんです。

呼び水とは、ちょっとだけやってみる。試してみるっていうことです。

そうすると、確実に何かが変わってきます。
ムクムクっと本来の表現が生き返ってくると思うんです。

ドグマ(教義、常識、既存の理論)のような、「かしこ」さは、
重要なものじゃなかったことが明らかになってくるかもしれません。

そして、「アホ」さの中にこそ、実はホントの叡智が隠されておるんとちゃうやろか?
ということに気づいてくるんです。

「アホ」で良かったんや!という気付きは、まさに僕らに「安堵」を与えてくれます。
そんな「安堵」の中にただ、リラックスしてみたら良いんです。

すると、「考え」では、受け入れがたいノリノリワクワクが生じてくるかもしれません。
それに乗っかれば良いんですが、ちょっと怖い場合は、ちょっとずつ乗ってみても良いんです。

意外と乗っちゃうとビューンッって、ノリノリと一体化しちゃうかもしれませんけど、
それならそれで、良し!ということで、、、。

 

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