Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

孤独感と向き合うコツ

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はい。
おはようございます。
タクさんです。

みなさんの中では、虫が嫌いな人も結構おられるかと思います。
ぼくも子供の頃は、虫博士!と呼ばれるくらいの猛者だったんですが、
今は、虫が苦手な人間へと成り下がってしまいました。

まあ、外にいる虫はあまり気になりませんが、
家の中にいたら、
「ひえぇぇ〜!」ってなりますよねー。

これも実は「私」という本能的な概念が関係してたりするんですよねー。
「私」という実体は実際にはないので、常に僕らはなにかに「私」をくっつけるんですよね。
一般的なのは、自分の身体や、感情、心に「私」という概念をくっつけます。

ですが、自分の車を運転しているときは、車に「私」をくっつけたりしますので、
車を誰かに殴られたら、自分ごととして感じとり、自身を守るための反応として「怒り」が生じたりします。

同様に、家も心理的に自分の「パーソナルスペース」として認識されますので、
家の中に得体の知れない虫がいたりすると、
外で見る虫とはぜんぜん違う反応が起こったりもするんですよね〜。

 

さて、
僕らは何かしらの体験をするときには、まず無意識の反応が起こります。
そして、その反応に対して、思考や感情や体の感覚が起こるわけなんですけどね。

そんな反応は、人から人へと伝播したりもするわけです。
「顔はニコニコしてても、目が笑ってないじゃん!」って気づいたときは、
ちょっと「こわっ!」って思ったりしますもんね〜。

まあ、そういった反応は、体験に対する判断によって変わってくるわけですが、
その判断の材料になっているのが、記憶の中にある「観念」なんですよねー。

そして、強く反応が起こる場合は、大体、記憶の中にある失敗の体験からくる観念が発動している場合が多いんです。

身体は、自身の身体を守るための機能が常に発動していますからね。
常に危機から守ろうとしますし、危なっかしい要素については、観念に入れておこうとせっせと溜め込んでいるんですよねー。

そして、環境が変わり、もうこのパターンは危険ではないにもかかわらず、握りしめている観念もあったりするんですよねー。

そして、僕らの悩みや葛藤も、この観念が原因となっているんです。

この記憶から来る観念は、自身の体験から手に入れたものもありますが、先天的に持っているものも結構あったりするんです。

つまり、本能的な観念というものですねー。

例えば、お腹が減ったとかもそうですよね。

もしかしたら、それほど食べなくても良いはずなのに、ダイエットしなきゃなのに、
お腹へっちゃうぅー。なんていうのも、人類の長い歴史の中で食料確保が困難だった時代のトラウマが食料確保への執着を強くしたからかもしれません。

そんな先天的な本能として、孤独への恐怖というのもあると言われています。

人は長らく小規模のコミュニティを作って生活をしてきました。
人はコミュニケーションによって社会を作る事ができるという特技を発展させてきたんですよね。

人は一人で生きていく能力は動物には劣るのに、地球上でここまで発展できたのもその特技があったからこそなんです。

ただ個人としては、もしコミュニティから追放されたとしたら、それは死を意味することにもなっちゃいます。

そのことから、孤独な状況は生命の危機だ!という観念が本能の中に組み込まれていったと言われております。

そんなわけで、僕らは孤独を感じると、危険信号が発動するわけですが、
困ったことに、この孤独を感じる条件というのが思いっきり主観なんですよね。
主観っていうのは、結構間違っていたり見当違いだったりするパターンが多いのですが、
このいい加減な主観で、孤独だと思いこんじゃったりするんです。

「あの人があんな表情をしたから嫌われてる」
とか、
「ああ、私は人と話すのが苦手だから孤独なんだ」

といった具合にね。

でも人と話すのが得意な人でも孤独を感じたりしますし、
その人の表情は、その人に向けられたものではなく、別の考え事について考えていたからかもしれないわけなんですよね。

あらゆる人は主観をもとに世界を見てますので、同じ場にいてもぜんぜん違う世界を見ています。
なので、他人の態度が自分に向けられているとは限らなかったりするんですが、
自分もまた、主観で判断しますので、妙な誤解が生じまくったりするわけなんです。

そして、今は昔に比べてコミュニティも複雑化したり、個性も重視されてきていますので、大昔の危機感は見当違いになっているパターンもかなりあるんです。

なので、もし、孤独感を感じたのだとしても、それは全く生命の危機ではないパターンだったりもするんですよねん。

孤独感からくる信号と主観で作る世界がこんがらがると、ますます混乱した行動を生み出したり、孤独感を感じなくするために人から遠ざかったりと、変な方向に進んでいってしまったりする場合もあったりします。

なのでね。
孤独感が重苦しいわぁ〜。
って感じたりした場合は、まずはこれは単なる信号なんだ。
そしてこの信号が、架空の生命の危機感を演出してるだけなんだよねー。
ということをね。ちょっと思い出してみるのも効果的です。

そして、それは殆どの場合は思い違いだったりするんだよね〜。
ということもね。頭の片隅に置いておいたほうが良いかもです。

また、そうしておきつつも、自分のオモロイをいろいろと表現し、発信して、
いろんなコミュニティに参加してみるのもいいと思います。
そうしてますと、自分のオモロイもいきいきと表現できるし、孤独感もどっかいっちゃう!ということで一石二鳥ですからねー。

ま、いずれにしても、反応や信号は、ツールです。
ツールによる信号に支配される謂れはないですからねー。
ツールは、便利に使って、いらなきゃスルーしても良いモノです。

信号はツールでしかないということも、どこかに意識しておくと、ツールに惑わされるのって、もしかしたらアホらしいことじゃん。
ってことにも気づいてくるかもしれません。

 

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