Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

生物学的に、あなたはすでにもう勝ち組

f:id:takuteto:20190131051446j:plain

今日、生きていると言うこと。
生物学的には、もうこれだけで、勝ち組です。
もうこれで大勝利なんです。

なので、あなたが今生きていて、これを読んでくれているということ。
これでもう、大勝利なんですよねー。

さあ、勝利の美酒を味わってください。
もし、やることがあるのだとすれば、この勝利を味わうこと。
これだけでいいのかも知れませんよ。

 

「とは言っても、なかなかそうは感じられないんですけど、、、。」
ってね。
思ったりしますよねぇ。

それって、
勝ってるのに、負けたらどうしよう???
と悩んじゃってるわけですよね。

だとすれば、
それはもしかしたら背負わなくてもいい責任を背負ってしまっているからなのかも知れません。

どういうことかと言いますと、
「そうは感じられない」
ということは、

「今は、生きていられてるからそうなのかも知れないけど、
でも明日はどうなるかかわからないじゃないですかー!」

ってねぇー。
そこが悩みのタネになっちゃってると思うんですよね。

だから、今の勝利の美酒を味わえなくなってるというわけなんです。

でも、常にあるのは「今」だけですからねー。
不安な未来というのは、過去の記憶から予測される幻想です。
実際の未来は完全な未知です。

未来はなくて、今後も常に起こるのは今だけですからねー。

もしね。
今、何かやっておこうとすることが起こるなら、それをやればいいんです。
そして、それ以上、起こってない未来に対して、今、責任を持たなくてもいいんですよね。

責任を背負ってしまっているのだとすれば、
それは背負わなくても良い責任を背負っているということになるんです。

そのせいで、今が犠牲になっちゃってるんですよねー。

そして、勝利である「今」を敗北にしてしまっているんです。

するとですねぇ。
僕らの思考はこの「敗北」という思いに対して、つじつまを合わせようと働くんですよね。
なので、記憶から、その材料を集めては、
「ああ、やっぱり、自分は足りていない」
というストーリーを作り上げちゃうんですよねー。

すると途端にもう、今の勝利は見逃され、ないものにされちゃうんです。

そんなんねぇ。。。もったいないですよねぇー。

なのでね。
まずはもう、今、生きている。
この勝利を存分に味わっちゃいましょう。

そして、今、在りたい自分を表現すればいいんです。
自分以外にそれを禁止している者はいません。

そしてね。
不必要な責任を背負い込まなくてもいいんです。
明日のことは明日の自分にお任せしちゃいいんですよねー。

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!