Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

期待と呪縛

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ほーん♪
おはようございます。
タクさんです。

今日は期待について書いてみたいと思います。

うーん。期待っていうとねー。

以前、勤めてる会社の社長に、
「君には期待してるよー」
みたいなことを言われた時に、

とっさに
「期待なんてやめてくださいよぉ〜。応える気はありませんから。」

なーんて言ったことを思い出しました。

なんて言いますかねぇ。
他人からの期待してるぞ!っていう言葉って、
自分にとって足かせになっちゃったりすることって往往にしてあるんですよねー。

もちろん、程よい期待はやりがいになったりしていいんですけどね。
「応えられるかどうかについては、わしゃ知らんで。」
くらいのスタンスでいいと思うんですよねん。

過度な期待ってねぇ。ろくなことないんです。
僕らは、期待をするとき、同時に期待ハズレに対する恐れを持ち込んじゃうんです。

するとね。
途端に期待という呪縛にハマり込んじゃうんです。

人って、
期待通りの人に崇拝し、期待から外れた途端に敵になる。
なんて習性を持ってたりするんですよねー。

 

人間関係のこじれも、この期待からくるものってとても多いと思います。

そして、僕らは、自分の未来にも期待を抱き、同時に期待ハズレを恐れるんです。
この恐れから、どうにか期待に沿う方法を探求し続けるんですよねー。

その探求の最中、より良い道を見つけても、その道は少し細くなっていて、
入るためには荷物を捨てなきゃならない。

さて、この荷物を降ろしてしまっていいのだろうか?
と迷う時、そこに立ち止まってしまうんです。

でもね。
これ、
面白いのがね。

道もなけりゃ、荷物もなく。
想像される未来のあらゆる道も、ぜーんぶ蜃気楼のような妄想のたぐいなんですよねー。

あ。。。
ちょっと期待の話から逸れちゃいましたが、、、。


人に期待しないなんて、もしかしてちょっと冷たいのでは?
なんて思ったりするかもしれませんが、よくよく考えると逆ですよねー。

我が子のことを考えてみてください。

もう。その子がいてくれるだけで。
存在してくれている。在ってくれてるだけで、もう完璧じゃないですか。

そりゃ、その子が偉くなったり頑張って何かを成し遂げてくれれば、そりゃ嬉しいですけど、
そうできないにしても、この完璧さって全然薄れないですよね。

って、僕は子供がいないわけですが、多分、そうだと思うんですよ。

そんな完璧さが全てに降り注いでいるんです。

太陽は分け隔てなく全てに光を届けますし、風はそよそよと分け隔てなく頬を撫で通り過ぎていきます。

期待は、元々は無くてもよかったスパイスです。
あってもなくてもいいものです。

期待が、いつしか条件を帯びるに従って、恐れを生み出し始めます。
すると、いつしかその恐れが、目の前の完璧な当たり前を覆い隠し始めるんですよねー。

でもやっぱり、
その期待も、期待ハズレに対する恐れも、
これまた、思考の中にある妄想に過ぎないっていう面白さに気づくとき、

僕らはこの今にリラックスせざるを得なくなるんです。

その時、期待は無条件へと戻っていき、
思考の妄想と今の完璧さが溶けあい始めます。

残るのは、今まで通りの日常です。
その日常で、多くを見逃していたことを知るとき、
あるがままの完璧さが目覚めてくれるんです。

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