おはようございます。
今日もサウナ大好き、タクさんです。
今週は忘年会などが重なり、サウナに行けておりません。
ああ、冷たい水風呂がワシを呼んでいる。。。
さてさて、
僕もよく質問をいただくのが、
「行為者がいないっていうのがわからん!!!」
っていう質問なんですよね。
これ、わからんのはある種当然とも言えるんですが、
今日はこのことについて書いてみたいと思います。
ま、なんていうか、
僕だって、
「そりゃーワシもわからん!」
って話なんですけどね。
えー!そんなんあかんやん!
って言われそうなので、もう少し続けますね。
まあ、そもそも、分かろうとするからには、
その大前提には、わかる自分!というのをガッツリ作り上げちゃったりしてる。
つまり、わかるわからない以前に、もう確定事項として、
「自分」は居る!
と、いうことにしてしまっているんですよね。
居ることにしているからには、居るわけですので、
その自分が「行為者である自分がいない??」
っていうのは、わかるはずもないんですよねん。
ちなみに、「わからん」には、自分という大前提の必要性はありません。
どうなってるんや!
って、なった時に、何かをつかもうとしますよね。
その時に、「自分」という観念を自動的に作っちゃう。
僕らは、そういうクセを持っているんですよね。
なので、ここは理由を探るということは一旦置いておいて、
一度、いると思っている自分はどこにいるんだ?
ということを確かめてみたらイイと思うんです。
「は、、腹が痛い!!!」
って思った時に、その腹痛の感覚、それ以外に何かあるのか?
それを確かめてみるんです。
いや、痛さを感じてる自分が居ますよ!
って思うかもしれません。
でもよくよく観察してみると、痛さの感覚と、それを感じている自分。
これって本当に分かれてます??
もしかして、そこにあるのは感覚だけじゃない?
ってことなんですよねー。
これは、痛みとかそういった身体の感覚だけじゃなく、
感情や思考も同じです。
そこにあるのは、その起こってることだけしかないんです。
その中に、自分という思考の解釈も含まれるんですよねー。
ただ、この辺が、聞いた時はなんとなーくわかったような気になるんだけど、
やっぱりよく実感出来ないんだよねー。
なーんて思うかもしれません。
そんな時は、準備運動として、
今日のブログのタイトルにもあるように、
「そう、まるで、坊主の中学生を見るかのように、、、。」
というのをやってみるのをオススメします。
???
ってなってる方もおられそうですので、
解説いたしますと、
あなたにとって、とーってもどうでもいい人。
そんなことを言ったら失礼かもしれませんが、
街ですれ違って、もっとも気にならないタイプの人っているじゃないですか。
あなたにとって、そういう人を1人選んでみるんです。
それが、
僕にとっては坊主の中学生男子なんですけどね。
無害そうなおじさん。
でも、
スーツのサラリーマン
でも、
ヒゲのおじさん。
でも、
ヒゲのOL
でも、
どんなタイプでも構いません。
あー、街にいても一切スルーしてしまうわぁー。
って人をね。1人選んでみるんです。
でね。
自分に起こってると思ってること。
これをね。
坊主の中学生に起こってることにしてみるんです。
坊主の中学生が、何やら考えておる。
恋愛に悩んでおる。
みたいにね。
するとねー。
自分に起こってるという感覚よりも、
幾分、人ごとのように感じられるかもしれません。
これは、深刻さをやわらげる為!という事じゃなく、
主体を変えたら、感じ方が変わるということを発見してみてほしいんです。
すると、もしかしたら、深刻さというのは、
「自分」という分離感の中だけにあるのでは?
そして、その自分って、何かをわかろうとする、認識しようとする働きの中だけにしか存在しないのでは?
なんていう気づきのきっかけになるかもしれません。
わからないと言う無根拠の中、単に在ってみると、
なんにもないなかで、何かを必死に掴もうとする一つの働きに気付けるかもしれません。
そしてその働きが、自分を装っていたんですよねー。
▼facebookページはこちら。毎日ひとことアップ中!
もしよろしければ、「いいね」をして、フォローをお願いします。