Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考の設定資料

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頭の中に起こる思考のストーリーってね。
そのストーリーを成り立たせるための大前提となる設定があるんですよね。

それがないと、思考はストーリーを生み出せないんです。

なので、思考を観てみるときは、今浮かんでる思考は、どういう設定があるから見てるんだろう?っていうのをね。
一回、探ってみるのも面白いかもしれません。

なんで、こういうストーリーが展開してるの?

って、改めて自分に聞いてみる。
って感じでしょうかねー?

すると一つの大前提が出てくると思うんですよね。

「人は努力すべきだ!」
「人は楽をすべきだ!」
「不倫は許されないことだ!」
「男はこうあるべきだ」
「女はこうあるべきだ!」
「社会人はこうあるべきだ!」
「親は私にこうすべきだった!」
「親は私にこうすべきではなかった!」

とまあ、色々と出てくると思うんです。

そんな時、ついつい感情が出てきちゃったりすると思うんですが、
ここはグッと、落ち着いて、
テレビのショッピング番組の商品説明のコーナーを見てる気分で
観てみるのがコツです。

 

そしたら、なぜその大前提が自分の中にあるのか?
それも聞いてみるんです。

するとまた、色々と理由のようなものが出てくると思います。

じゃあ、なぜそれがそんな大前提を作ったんだろうか?
なぜその大前提を信じることになったのか?
みたいなこともね。

自分に聞いてみたら良いんです。

もともとね。
全てのことに、本当も嘘ないんですよね。

つまり作られた大前提も、嘘とは言いませんが、本当でもないんです。

大前提が本当であるには、ある種の枠が必要になります。

枠とは前提を成り立たせる設定です。
この設定を採用している間だけ本当になってるんです。

物を落としたら下に落ちる。
ただし、下とは足元のことを意味する。

みたいなね。

だって、地球の裏側の人にとっては足元よりも頭の方が下になりますからねー。

一見屁理屈のように聞こえるかもしれませんが、
本来、理屈というものは全て作られたストーリーですのでねー。

それらがストーリーなんだと見破るために、たまに屁理屈が使われるというわけです。
禅問答もそうかもしれませんね。

ま、そんな感じで、
「なんで?」と自分に聞いていってみると、どこかの時点で、
「わからんわい!」
という所に行き着くと思うんですよね。

面白いですよね。
あらゆる問題の底には、「わからんわい!」があるわけです。

つまりそれが答えなんですが、
僕らは、この「わからん!」を無視しちゃうんですよね。

だから、わかるところまで後戻りして、そこから真理を求めるわけです。

ちゃんと奥底には「わからんわい!」があるというのにねー。

「わからん!」にぶち当たった時、
もしかしたら、このわからんに委ねてみることはできないだろうか?
ってね。

ちょっと遊び心でも良いから試してみると良いと思います。

そしたら、もしかしたら、なぜ、なんでもかんでも「わかる」にこだわってたのだろう?っていう事に気づくかもしれません。

ぼくらは何かを掴んでいる間だけ、その掴んだものを現実とみなしていたんです。

わからなくても良いっていう可能性を感じてみてください。

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