あるのは「それ」だけー。
とかね。
場合によっては
気づきだけがある。
とか、
経験だけがある。
とか、
意識だけがある。
みたいなね。
ま、いろんな言い方をしているわけなんですが、
この「意識だけがある」の意識ってね。
なんやと思います?
意識って言葉はみんなよく知ってると思うんですけど、
では「意識」ってなんでしょうねぇ?
意識高い系とか、
自意識過剰とか、
潜在意識、顕在意識、
と
意識にもいろんな分類があったりするわけですが、
じゃあ、
そもそも意識ってなんやねん!!
っていうと、結構みんなよくわからんのじゃないでしょうか?
よくわからないけど、
この意識がないと、何も始まらない。
ってことは知ってるんですよね。
意識があるから、あらゆることに気づけている。
みたいなことは、ぼんやりとはわかってるんですよね。
さて、
意識は思考ではないことはみんな知ってるんだと思うんです。
意識は思考に気づいていますからね。
そして、意識は身体でもないこともみんな知っていますよね。
だって、身体の感覚に意識は気づいてますもんねー。
では、意識とは一体なんでしょう??
辞書で調べると、
「自分が現在何をやっているか、今はどんな状況なのかなどが自分でわかる、心の働き。」
となっています。
「自分でわかっている心の働き。」
これが意識だと辞書では言っているわけですね。
つまり、意識とは「わかっている心の働き」である。
つまり自分が気づいている気づき。それが意識だというわけですよね。
では、自分とは何か?
身体は意識されているので、身体の中には、自分も意識もありませんよね。
身体は意識に気づかれている対象ですのでね。
では思考は?
思考も意識される対象なので、自分ではありません。
心の働きといいますが、この心とは何を言っているんでしょうか?
感情の働きのことを心だというのであれば、この感情だって意識されます。
気づかれますよね。
ということは、ここにも自分はいませんよねぇ。
でも、意識はあり、気づいている自分はあるわけです。
「私、腹が立ってるわぁ」って感情に気づいてますし、
「腰が痛いねん!」って腰に気づいてますし、
「あの子とあの子がくっついて、あの子とあの子がくっついて、、、」
と考えていることだって、気づいているわけです。
なのに自分はいない。
となると、「自分」はどこに隠れているのか?
もしかして、意識こそが、自分なんだろうか?
って思ったりするかもしれません。
この意識は、脳が作っているものでもないし、
意識自体を誰かがコントロールしているわけでもありません。
意識はコントロールされません。
では、自分とはなんでしょうか??
そもそも自分ってなに?って考えると、それは主体者ですよね。
コントロールする者。見る者。操縦している者。
と言ったような感覚を「自分」だとしているわけです。
では、そんな司令塔がどこにいるのか?
意識はコントロールされていませんが、何かをコントロールしているわけでもありませんので、ここにも自分は見つけられないんです。
もし、「自分」とはあると思われていた幽霊のようなもので、実際にはないんだとしたらどうでしょう?
意識の辞書の説明から「自分」を引き算してみるとどうなるのか?
「自分が現在何をやっているか、今はどんな状況なのかなどが自分でわかる、心の働き。」
という辞書の説明から、自分という言葉を抜いてみると、
「現在何をやっているか、今はどんな状況なのかなどがわかる。心の働き。」
となります。
ただし、ここで書かれている「わかる」の対象である自分は引かなきゃいけないので、自分という対象が意味上でくっついてくる、「やっている」とか「わかる」という言葉の表現を変えてみると、
「起こっていることへの気づき。状況への気づき、心の働きへの気づき。」
が残ります。
ちょっと強引かもしれませんが、
状況も心の働きも、「起こっていること」にまとめて見ますと
「起こっていることへの気づき」
になります。
というわけで、意識とは「起こっていることへの気づき」ということになり、
その意識だけがある。
っていうことになるというわけです。
めっちゃ強引かもしれませんけどねっ!!!
この起こっていることに、コントロールしている自分という観念をくっつけて、
自分が何かやってるつもりになっている。
この「つもり」の部分。
それが夢であって、夢から覚めるというのは、この「自分」が観念だと気づくこと。
なんですよねー。
それを目覚めと呼んでいるんですよねー。
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